ロウニンとの別離


2019年一発目のエントリは、先月の引越しによって離れることになった犬のロウニンについて。

今回の転職や引越しは私がかねてから希望していたことなので、その部分は私にとって嬉しいことなのだが、唯一さみしいことは、これまでずっと一緒にいたロウニンと離れたこと。


前のボス家族の犬なので、いずれはこうなる予定だったが、以前『あなたのいる右側』で書いた通り、私にとっては身体の一部のようにまでなっていた存在だった。

また、大人の犬と数年過ごすのと、赤ちゃんのときから世話をして成長を見守った数年では違う。生後2ヶ月だったロウニンは、いまや立派な大人になったが、私にとっては我が子のような存在だ。

生後二か月でもらわれてきた直後。

おやつを一緒に食べようとするロウニン

せめてもの救いは、一応私は同じ州内にいるので、会いに行こうと思えばいつでも行けること。現に、クリスマスの際訪問したし。

それでも、毎日寝食をともにしていた存在が急にいなくなるのは、ロウニンも不思議に思うだろう。私は「明日から会えない」と知っていても、ロウニンは知る由もないのだから。

仮に来週訪問する予定があっても、ロウニンにとっては、明日も永遠も読めないのだ。私がその状態ならとても切ない。

私が最後に家を出る時、ロウニンは私が荷物をたくさん持っているのを見て、いつもの北のコテージに一緒にいくものと思い、玄関に来て自分も出発する体制になっていた。そのロウニンを置いていくのはとても悲しかった。

北に行くと田舎の風景を一緒に楽しんだ

静かなコテージでよくロウニンと私だけで過ごした

私が出たあと、夜はいつも廊下で寝ていたロウニンは、1週間ほど私のデスクの横で寝ていたそうだ。そこは私が仕事中に常にいた場所であり、また家の前に車が停まると窓から見える位置なのだ。

デスクの横でよく伸びて寝ていたロウニン

私は前の家を出た瞬間から新しい生活でてんてこまいだったが、ロウニンはハチ公さながら、私がいつ帰ってくるのか?と思いながらじっとそこにいたことだろう。それはとても長く感じたのではないだろうか。

今は引越して1ヶ月、なんとか私のいない家に慣れてきたようだ。前回訪問時、ロウニンは私の顔を見て狂ったように喜んでくれたけど、これから徐々に行く回数が減れば、私の不在にももっと慣れていくだろう。

ロウニンと一緒にいて、とても多くのことを学んだ。お互いがお互いをケアしていたという確かな実感があった。ロウニンのふかふかの毛をなでると本当に心が休まった。ロウニンもそうだった。いつもそばにいて私を守ってくれていた。本当にありがとう、と言いたい。

毎晩一緒にリラックスタイム

ブラッシングではすっかり甘えん坊

こういうことを考え出すとたまらなく恋しくなってくる。だから「いつでも会えるんだ」と自分に言い聞かせて、あまり考えないようにもしている。

私もロウニンも新しい生活が始まったのだ。
 
ロウニン1歳半の頃、凍った湖の上で。

関連エントリ:






コメント

このブログの人気の投稿

路地裏のパン教室でサワードウを学ぶ

秋の森、秋の雲

2023年の終わりに