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晩秋のファーマーズ・マーケット

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ただでさえカナダは冬が来るのが早いのに、今年はさらに早いかも。もう雪が3,4回降ったから。 サンクス・ギビング(感謝祭)は 10 月前半に終わっているし、ハロウィンなんて 8 月から衣装が売られているから「あれ?そういやまだ終わっていないのか」と思うくらい。それくらいこちらはもう冬モード。 ファーマーズ・マーケットもサンクス・ギビングの週末( 10 月第 2 週)でほとんどがクローズ。屋外販売をしてたらもう凍えちゃうし、秋の収穫はピークを過ぎたし。 だけど、ファーマーズ・マーケット好きな私は、屋内で通年やっている場所に行き続ける。売っているものの種類はぐっと減るが、やっぱりあの雰囲気が好きなんだなあ~。 ということで今日は、去年や今年の今の季節 ―「晩秋」のマーケットの写真を。 フルーツ。桃やブドウは 10 月初めには消え、リンゴがメインとなる。秋の始めはまだ酸味がきつかったリンゴは今や甘くまろやかに。 感謝祭のディナーのターキーにはクランベリーソースが添えられるのが伝統的。この時期だけの限定販売としてクランベリーの大きな袋も見かけた。 そうそう、トロント北部のリゾート地「マスコーカ」付近はクランベリーの産地。クランベリーって、下の写真のように水中で収穫されるというから、一度収穫作業を見てみたいなあ~。(実家近くのレンコン畑を思い出す、、、) 写真: JohnstonsCranberry Marsh それから、普段は脇役のニンニクがこの時期は主役に。がっつりと束になって売られている。 何種類ものニンニクを揃え、ホームメイドのディップやスモークド、オーガニックなども売る専門店も登場。 ニンニクがこの時期旬ということもあるけど、冬に向けての保存食にも使うものね。私もこの秋は保存用トマトソースにガーリックをたくさん使った! 地場産ニンニクは 1 株 3 ~ 5 ドルとやや高いが、スーパーで売っている 3 株で 1 ドルくらいの安い中国産のニンニクより、やはり香りが違うし長持ちする。ペペロンチーノとか、ガーリックの風味が主役の料理にはやはりいいニンニクを使いたいところ。 スープやさんが持ってきているのは、旬のスクワ

オンタリオの地ビール

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私のいるオンタリオ州は、ビール醸造所がたくさんある。元々のイギリス文化の影響もあるだろうし、農村部にドイツ移民が多いせいもあるかも?州南西部のドイツ移民の多いエリアではオクトーバー・フェストも開かれる。 そして近年では、小規模ないわゆる「マイクロ・ブリューワリー」「クラフト・ブリューワリー」がすごい勢いで増えているようだ。 あるブリュワリーのバーで。奥に醸造タンクが。 リカーショップの地元クラフトビールのコーナーに行くと、ものすごく種類があって驚く。缶に描かれているデザインも個性的。しかも商品が頻繁に入れ替わるので、行くたびに新しいビールに出会う。 秋はパンプキン味が登場。 そうそう、この前、ビール関連の記事をネットで見ていたら、「リンダ・リンダ」と日本語でプリントされたビールを発見!リンダ・リンダってあの、ブルーハーツの?? ざっと調べたら、トロント東部のプリンス・エドワード郡(赤毛のアンの「プリンス・エドワード島ではない)にある「 Persons Brewery 」の、柚子をベースにした商品だったのだが、なんと、実際にブルーハーツのヒット曲へのオマージュとして生まれたそうだ。 でも、なぜ「リンダ・リンダ」?そこまではわからなかったが、醸造者はあくまでもカナディアン。しかしビールの名前といい、柚子を使うところといい、何かしら日本と関りがあったのだろう。トロントのあるお寿司屋さんでこのビールを出している店もあるし。 ところで柚子ベースのビールは人気なのか、他のメーカーでもそれを見つけた。 トロントから北へ2,3時間行ったところに「 Muskoka (マスコーカ)」という、森と湖のオールシーズン・リゾートがあるが、そこの醸造所「 Muskoka Brewery 」が出した柚子ビール。 なんと、フレーバーのベースである「柚子」とトロントで練習しているスケートの羽生 结 弦選手の「ゆず」をかけてのネーミングだそう。というのも、ここの醸造所には、羽生選手のコーチ、ブライアン・アーサー氏の甥っこが勤めているから。 ※写真は この記事 から。アーサーコーチの甥っ子も登場するビデオもあり。 「 All Eyes on Yuzu (すべての目が Yuzu に注がれて

プロシュートの半分

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まだ 20 代の始め、ある男友達と飲みに行った時のこと。さんざんおしゃべりしたあと、気が付けばつまみのプロシュートが 1 枚だけ残っていた。 「食べて食べて。もしおなかいっぱいなら私食べるし。」と先に友達に勧めた私。 そしたら彼は何も言わず、ナイフでプロシュートをきれいに半分に切って、「はい」と、私に半分食べることを促した。 仲良しの友達や家族なら、こんな行為は当たり前だろう。しかし、私はこの時すごーくショックを受けた。なぜなら、その頃の私にはそれを「半分こする」「シェアする」というアイデアが微塵もなかったから。 何事も白か黒かはっきりさせようとすることは、私の性分のひとつだ。 1 枚残ったプロシュートを前にして、「彼か私か」の二者択一しか頭になかったのは、当時の私には自然なことだった。 だから、それ以外の、しかも 両者ともに楽しみを享受できる という発想に、「こんなにいい方法があるなんて!」と私は衝撃を受けたのだ。大げさだけど、別次元から新しい価値観・発想を与えられたような気がした。 * * * それでも、その後ガツガツといろんな新しいことを吸収していった 20 代、 30 代の私は、誰かと何かを「シェアする」というより、まずは自分が何かを得るため、或いはある状況をサバイブするために、「白黒つける私」の方が優先的に現れていたと思う。 特にニューヨーク時代は、そこに「スピード」も加わり、「この機会を取るか捨てるか」「どこまでが自分の責任か」など、直ちに判断しなければならないことも多かった。それは決して悪いことではなく、物事を効率的に進めるときには必要なことだった。 ところが、カナダで犬のロウニンと生活する中で、かつて半分にされたプロシュートによって衝撃を受けた「シェアする喜び」を思い出した。 パンを食べている私に近づくロウニン。パンを少しちぎってあげると、とても美味しそうに嬉しそうに食べる。私にも喜びが湧く。 そうやって私が直接口に運んであげるその食べ方に慣れると、その行為が二人の間の「約束された幸せ」と化す。食べ物だけでなく、そこには「喜びのシェア」「習慣のシェア」がある。 しつけ上、こういう行為を避ける飼い主もいるようだが、私にとってロウニンは大親