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金曜夜の“トリップ”

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こちらは すでに感謝祭を終え、木々は美しく色づくとともに、大量の落ち葉をあちこちに盛り始めた。明け方の気温はもう0 ℃ に近く、来週は雪がちらつく予報も出ている。 2月から始めた新しい仕事も 早や 8ヶ月が経過した。仕事を覚えれば覚えるほど新しいタスクもどんどん入ってきて、ここのところ忙しい。やむなく残業をすることも。 なので、以前週に2回行っていたヨガを1回に減らした。その1回は、一通り仕事の区切りをつける金曜になることが多い。 今行っているヨガスタジオは、ヴィンヤサ、ハタなどのヨガスタイル別のクラスはもちろん、体幹を鍛えるピラティス寄りのクラス、柔軟性向上のための、バレエレッスンに近いバー・エクササイズ、徹底的にヒップアップを目指したクラス等、各種ある。 金曜夜に開いているのは『ディープ・ストレッチ』クラス。各種筋肉をう~んと伸ばすヨガポーズがバランスよくセレクトされていて、1週間座りっぱなしで凝り固まった身体にもってこいのクラスだ。 すべてのクラスは室温を高くしたホットヨガ。部屋に入った時から筋肉の弛緩が始まる。 10 分ほどのメディテーションからスタートし、まだ仕事の余韻が残っている頭をまずはリセット。 それからヨガポーズに移っていくのだが、まだ頭の中は雑念だらけ。仕事の To Do はもちろん、週末に「あれやらなくちゃ、これやらなくちゃ」って。目の前の現実が目のすぐ裏側にこびりついている感じ。 しかし、いくつかのポーズを経ると、雑多な考えは徐々にぼやけていき、いつの間にかすうっと消えていく。 それからだ。頭の中が不思議な域に入るのは。 自分が意図していないのに、昔の思い出が断片的に表れる。なんの脈絡もなく。どうして自分の脳はそれを選んでくるのか、 ある意味面白い。 しかも、それらは過去の大きな出来事とは限らない。おおうにして些細なことだ。自分でもよくそんなことを覚えていたな、と驚くことも。(このヨガをしなければ思い出さないから、「覚えていた」とは言えないが、、、。)   時々自分が体験していないけど、以前思い描いていたことも蘇ってくる。人はあることを繰り返し考えると、それがあたかも実際に起こったことのように錯覚することがあるが、それに近い。体験と想いがごちゃ混ぜになって現れる。 このヨガクラスは、 1 ポ

夏休み 2022

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ほぼコロナの影響なく迎えた久々の「本来の」夏。近場のヒューロン湖にはすでに遊びに行っていたが、3年ぶりに再開したものと言えば、宿泊を伴う旅。   月初め、友達のキャンプに1泊の飛び入り参加。ただしこれは森のトレッキングとバーベキューの延長のようなもので、シャワーも浴びずテントで雑魚寝し、翌日には帰ってきた。 しかし、この週末、まさに久々の旅行らしい旅行に行った。 ほんの3日だけ、しかも車で1時間半で着く湖畔だから、たいした遠出ではないのだが、それでも3日分の荷物をパッキングした時は、旅に出る前の独特の興奮を久々に感じた。 「そうそう、これこれ!」って。   日本にいると、電車やバスで旅に出ることも多い。それゆえ荷物は最小限にすべく、いろいろ知恵を働かせる。 しかし、こちらではもっぱら車。あれこれ載せられるし時間に縛られない。いざというときは、車が休憩、食事、着替えスペースにもなるし。 とはいえ、いろいろ持って行っても、結局は限られたものしか使わないことを、これまで数多くの旅をしてきた私は知っている。 だから今回は車とはいえ荷物はコンパクトにまとめた。(それでも結果して7割くらいしか使わなかった) *  一人で行く旅はとにかく気楽だ。 都会に行くなら美術館の時間やレストランのリサーチなどするが、今回のような半田舎なら何も予定を立てず、気のままに過ごす。 湖の砂浜でヨガやったり、波を眺めながら昔の音楽に浸ったり、本を読んだり。 昼はテラスのあるレストランでビールとつまみ。つまみと言っても、日本での一食分に相当する量だからそれで充分。 例えば写真のプレッツェルのソーセージのせ。塩味が効いてて、ビールにピッタリ。ボリュームあるからこれでもう満足。   朝と夜は、地元のファーマーズマーケットで仕入れた果物とパンでオッケー。その日の朝焼かれたパンはすぐ食べるに限る! あとはぶらりと、適当に見つけたカフェに寄る。そこが居心地よければ「あたり」だ。今回は鉢植え植物やナチュラル系雑貨を売る店内にカフェを見つけ、大きなソファでまったりできた。「あたり」だった。 この種の旅は、ガソリンとホテル代だけ出せば、あとはお金をあまり使わない。しかし気分的にはとても贅沢感がある。 日常の居場所から離れ、携帯や SNS からも離れ、こうして過ごすのは、よいリセット

この期に及んで、、、。

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ふうーっと大きな息をつきたくなることが今週あった。それは 5 月から 10 週にわたって受けていた集中コースが終わったこと。何のコースかというと、、、この期に及んで英語! ある大学の、社会人向け平日夜のオンラインコースで、Zoom授業を通じて発音に集中して学ぶクラスだった。   春に始まったコースも、終わった時には真夏!はやっ! 去年まで日系の会社にいたので、英語・日本語は 3 対 7 くらいで仕事していたけど、今は 100 % 英語。 Eメール は考えたり読み返したりできるからマシなものの、やはりしゃべる場面ではしょっちゅうつっかえる。   トロント界隈なら移民も多く、いろんなクセのある英語が飛び交っているが、私の今いる地方都市は、昔からのイギリス・ヨーロッパ系がまだ人口の大部分を占める。会社で私は唯一の(おそらく初めての)アジア人だ。   私が話すと、上司や同僚は一生懸命聞き取ろうとするのが表情でわかる。発音がうまくできなくて通じないこともよくある。大人になってからの言語習得ゆえ、母国語のクセが完璧に消えるとは思わないが、努力しなければ進歩もない。   ということで、しばらくちゃんとした英語の勉強から遠ざかっていたから、よしっと意を決して申し込んだのだった。   初夏の爽やかな季節は気持ちも前向きになる! これまでも何度も発音のクラスを受けたが、発音記号や舌の位置を頭で理解していても、実際にその通りできるかというと、これまた別なんだよねえ。 また、単に発音といっても、話すとなると、それぞれの音の発音はもちろん、イントネーション、アクセント、スピード、ボリュームの強弱、短縮形等々、気を付けることがたくさん!   同じ単語でも名詞か動詞かで、アクセント違うものもあるしね。(例: access, address )これらは慣れると自然に変えて言っているけど。 紛らわしいのは日本語でも使っているカタカナ英語を普通に本来の英語として言うとき。日本語の発音が脳内で邪魔して一瞬混乱する。 発音以外にも文法やボキャブラリーにも気を付け、場の流れや相手の心情をくみとり、最終的には話す目的を達成せねばならないのだから、なんて大変! てか、そこまで言語そのものに多くの気を配らねばならない時点で、まだまだモノになっていない

萌える木々、話す木々

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先週末はイースターで連休。天気が良ければ庭仕事を少しでも始めようかな、と思っていたが、冷え込んだうえ雪が、、しかも結構な積雪。。。前日は寒くても快晴だったのに。   4月のカナダはまだ半分は冬。去年も同じ4月半ばに雪がドカッと降った。その時はすでにチューリップや水仙が咲いていて、「ああ、せっかくの花がダメになる~」と心配したのを憶えている。今年はどちらも咲いていないので、少し遅い春のようだ。 この時期の木々は、ほんの少~しだけ葉の芽が膨らんできているが、基本まだ裸の枝のまま。葉も花もない、枝だけの状態の時に、わざわざじっくり眺めることなどあまりないだろう。 しかし私は数年前のある経験で変わった。言葉で表すのはちょっと難しいのだが、、、。 数年前、ちょうど今と同じ4月半ば過ぎ、なじみのない場所で結構な時間をつぶさねばならないことがあった。肌寒いが天気が良かったので、適当に車を走らせて見つけた川沿いの公園を歩くことにした。 高い木がたくさんある公園。ただし木々は葉を出す前で枝だけである。でもなんとなく魅かれて、木々の間―――時には歩道も外れ、一人でじっくりただ歩いた。 歩いている間、私はなんでかわからないけど、ものすごい衝撃を感じていた。まずは、その時の木々の姿があまりにも美しかったから。 雪景色でもなく、新緑や紅葉でもない。ただの枝だけの木々。だからこそ木々の枝ぶりがよく見える。葉が出始めたらあっという間に隠れてしまう木々の骨組み。見ているうちにそれが木とは別なものに見えてきた。 それは、、美しいだけでなく、なんかこう、、、さまざまな生命の象徴・示唆に感じたんだよね。春が来て伸びている最中の細かい枝、独特の曲線が、葉脈、あるいは血管や細胞のように見えたし、また、枝の背後の青い空が、水の中あるいは顕微鏡上の視界のようにも見えていた。 自分が目にしているのは、物体の全体図なのかそれともディテールなのか何度か混乱した。フラクタルのデザインが見上げた空にわーっと広がって、脳が一生懸命二次元で認識しようとしているけどどうにも捉えられない、みたいな感じ。 さらには、、、あくまでも印象、なのだろうが、木と木が話しているようにも感じた。広がる枝は、おしゃべり好きなおばあちゃんたちが身振り手振りで井戸端会議をしているように見えた。 枝の広がる空を

口紅はどこへいった?

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先日、とあることで知人から花をいただいた。それがピンクと紫のかわいい花束で、この色合いがすごく新鮮に見えた。 長い冬で灰色の風景を見慣れていたからかもしれない。 花があると部屋がぱっと明るく豪華になって気分も晴れやか。   さて、先週3/21から、ついに公共スペースでのマスク着用の制限が原則なくなった。コロナの急拡大からちょうど2年、仕事中も外出時も常にマスクをしていたんだよなあ。   それに慣れちゃって、どうせ隠れるから、と化粧もおろそかになり、近所への買い物はほぼスッピン。(コロナでなくてもやってたけど!)ついこの前まで勤めていた前職はオンラインでの動画ミーティングもほぼなかったし。   しかし、もうマスクがないなら、一応ちゃんと化粧をしないとなあ。と、思ったら、しばらく口紅を使っていなかったものだから、どこにあるかわからなくなってしまっていた。(私は複数の口紅をあちこちに置いたりいろんなバッグに入れたりして、置き場が一定でない。)   以前のバッグや車の中を探してようやく2,3本発見。まだあちこちに眠っているはず。 今の仕事では時々オンラインミーティングをするので、マスク制限に関わらず、口紅塗ろうと思っていたところだった。 濃い色は不要だけど、やっぱりしていないと不健康そうに見えるのと、光の加減によっては老けて見えるから(笑) 冒頭の花のように、やはり色ってエネルギーを持つよなあ。 2,3年ぶりに、明るい色の新しい口紅でも買うか! 「春」「口紅」「色」というキーワードで思い浮かぶイメージの一つはこれ! わお、ちょうど40年前!!      松田聖子のロックン・ルージュも口紅キャンペーンだったな。これは1984年!   ところで、、、 コロナに関しては、政府のマスク解除の決定に「本当に大丈夫?」「マスク外した途端また感染広がるだろう」「中国や欧州はまた感染拡大しているから、そこからまた入ってくるだろう」との世間の声も多い。  お店や人混みに行くときは、私ももうしばらくマスクを着用するつもりだ。 そしてさらに状況が良くなるのを待っていることと言えば、日本行き。3年近く帰れていない。   コロナピーク時と違って、今は日本行きのフライトもあるけど、しょっちゅう変更になっているコロナ関連ルールを調べたり従うのが面倒で、どうもまだ

ひまわりに祈りをのせて

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ここ数日、世の中はロシアとウクライナのニュースで一色。私もいつも以上にニュースを読む時間が増えている。 政治や歴史を語りだせば複雑だが、戦争という行為を普遍的に考えれば、いたってシンプル。同じ人間同士で争うことがいかに不毛で愚かな行為か、だけだ。 一部の人間のエゴ、欲、感情で多くの人が犠牲になる。運よく命が助かっても生活が壊される。地球温暖化にコロナに、国を超えた共通課題がすでにあり、それどころじゃないっていうのに、、、。 ひまわりはウクライナの国花。先日ロシア兵に詰め寄ったウクライナの一般女性が「ひまわりの種持っていけ」と言った映像が出回ったが、ウクライナ、そしてロシアにもひまわり畑は多いそうだ。彼らは共通の文化を持っているのだ。 早く争いが終わるように、との祈りを込めて、季節外れのひまわりの写真をのせる。(偶然にも、先月も季節外れの黄色の花を載せたのだった、、、) *  *  * さて、私個人の生活を言えば、2月は新しい仕事が始まって、日々緊張の日々だった。新しい生活パターンで時間の使い方に試行錯誤したり、仕事上でとった大量のメモを整理したり、、、。   また通勤生活が始まった。 ちなみに、前職は日系で、やはり日本的な職場カルチャーを引きずっていた。今度はすっかりカナダの会社なので、そこは大違い。(それが転職したかった理由のひとつでもある) カナダ会社の方が、効率を求める体制や対人関係が断然楽。残業は基本ないし、定時の勤務時間も若干短いから働く時間は減った。かつ、よい仕事環境の中、密度が濃く、実質的な仕事をしてる!との手ごたえが。量も質もよりよい状態になった! 日本カルチャーだと、仕事に関係ない余計な気遣い・根回し・無意味な会議や残業多いもんねえ。担務外の仕事もバンバン入ってくるし。(このへんの愚痴は際限なくなるからやめておこう、、、) 今は、英語や仕事内容はチャレンジングなものの、広めの私専用の個室オフィスをもらい、機器やツールも充実していて、集中、かつ効率よく仕事ができる。 やるべき仕事内容・責任の範疇も整理されている。ボスもすごくスマートで信頼できる。こういうの、アメリカの会社で働いた時以来だ。 冬の出勤はまず車の氷溶かしから。雪の結晶が美しい。 同僚たちはみなフレンドリー。きさくで冗談もとびかうが、パワハラ・セクハ

雪とハイビスカス

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新年を迎えると共に、私のいるあたりは極寒期に突入。最低気温がマイナス 20 ℃ 台、日中でも氷点下の日が多くなる。雪というより氷の世界だ。カナダの最南端だからまだいい方だけど! そんな中、秋に 家の中 に移したハイビスカスが途切れなく花を咲かせている。室内ならおかしくない話だが、夏場以上に咲き誇り、葉っぱも広がり、置き場所に困って枝を紐で束ねたほど。 トロピカルな花と雪景色という対照的な図が面白くて、窓越しにパチリ。 さて、この「寒い冬だけどエネルギーいっぱい」なコントラスト、今の私の心境に当てはまるかも。それは新しい仕事が決まったから。 正直、今回は仕事を見つけるまでかなり時間がかかることを覚悟していた。それは今コロナ禍で失業者(=求職者)が多く、競争率が高いから。 1つの空きポジションに 100 人以上の申し込みがあるのもざら。(求職サイトを使うと、申込者数もリアルタイムでわかる) なので年末から腹をくくってあまり焦らず求人情報を見ていた。希望の条件に合う職はそうそう出てくるものではないので、7割くらい希望にあっていれば、とりあえず履歴書を送った。 年末年始、断捨離やベーキングをしながら 求人情報をぼちぼち見ていた ところがあるとき、求人情報の中で「おお、これだっ」と思える、興味のある仕事を見つけた。私が関心ある教育分野だ。やはり大勢が申し込んでいたが、ダメ元で履歴書を送った。 しばらく返事がなかったのであきらめかけていたら、面接の打診が。その後、第二面接、第三面接に進み、結果、採用されるに至った。(一週ごとに進んでいったから、まるでアメリカ横断ウルトラクイズ!) 結果して履歴書送った約 10 社の中で、第一希望の会社に採用されたから、なんてラッキー。 通常、いろいろ自分が希望する条件の中で、何かがいいと何かが不都合なことがある。 例えば、希望の仕事内容だが通勤時間がかかるとか、給与額はいいが福利厚生がイマイチ、とか。すべての条件が 自分に都合のいい会社なんてそうそう無い。 だから私は今回、仕事内容だけは妥協しないことにして、あとはあまり気にしないでおいた。ところが重要視していなかった条件も、ほぼ希望通りかそれ以上。それには自分でもびっくりしている。 予想より早く、この先進む道に出会えた! しかし、職と人材のマッチングとは、ニーズ