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私のサイエンス革命

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かつて学校で勉強したとき、常に苦手な分野があった。それはサイエンス(科学)系。小学校の時からどの教科もそこそここなしたけれど、理科だけはダメ。テストの点も悪く実験も居残りだった。 大学の専攻はビジネス系だったから、サイエンス系は生物、化学、物理、天文からどれかひとつ取ればいいだけだったが、、、私、どれも嫌だし! 結局授業時間が合う生物を選んだが、ヒジョーに苦痛だった。何かとラテン語ワードが多いので、スペルを覚えるのも大変というおまけつき、、。 しかし、なぜサイエンス系が嫌いだったのか? 厳密に言えば、嫌いというより「私の脳で理解できない次元にあるもの」「そもそもの発想が謎」という感じ。数学も、公式を機械的に覚えて応用で解いていく分にはいいけど、「公式が意味するもの」「なぜそうなるのか?」を考えたとき、もはや理解の限度だった。 要は 『 宇宙(自然)の法則 』 に関わる部分、ということだ。それは私にとって別次元だったからついていけなかったのだ。 一方、国語や歴史はいわば人間が作った、人間の次元のものと言えるかもしれない。私の脳はそこに留まっていたんだと思う。 ところが、 3 年前のあるとき―それはカナダで最初の半年を過ごしたあと、数カ月新潟の実家にいた時だった。ひょんなことから私は急にサイエンス系に興味を持つことになった。 きっかけは、たまたま近所のコンビニで見かけたこの本、学研の『美しい鉱物』。 私はモノがなんであれ、とにかくカラフルなものに惹かれてしまうところがあるが、この表紙もそんな感覚で目がいったのかも。とにかく鉱石なんて全く興味がないのに、次の瞬間にはこの本を買っていた。 その夜、この本に深~く入り込んだ。 鉱石たちが放つ色や輝きに見とれてしまったのはもちろん、不思議な感覚が頭の中を駆け巡った。 それはとても言葉で言い表せないけど、人間でもなく動物でもなく植物でもない、ただ「この世に存在する物質」というものを眺めながら、宇宙という存在を深く意識させられた機会だった。 * そもそもなぜこんな本を手にしたのかは今でも謎だけれど、とにもかくにも、私はこれを機に急に苦手だったサイエンス系の知識を求めるようになった。小学校以来避けてきた分野だけに、「ああ、早

カナダの秋 2016

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私のいるエリアは、 10 日ほど前から紅葉がピーク。 今年はいつになく夏が暑く長かったせいか、紅葉のスタートが例年より遅かったらしい。 しかし、春の桜と同じく、一旦色が変わったと思ったらあっという間、すでに終盤を迎えている。 夜は0℃前後の日も出てきてるし、昨日から風雨なので多くの葉は散ってしまう。 まさに、1年にたった 10 日ほどの儚いアートショー。 それにしても、自然が創り出す色の美しいこと! 赤・黄・オレンジに染まった木々の間を通り抜ける時、あまりの美しさに心臓がバクバク。それが、少し走るたびに現れるものだから、「わあああ、心臓がもたない!」と、思わず胸に手をあてたほど。 落ち葉ですら美しい。カナダのシンボル、メープルツリーの近くは、まるでカナダ国旗がたくさん落ちているみたい!私の好きな野の花はシーズンが終わってしまったが、代わりに綺麗なメープルの葉を拾っては並べて眺めていた。 少し前には、地元サークルのキノコ狩りにも行った。ただし、この日はキノコを探しに行くというより、キノコのプロによる、毒キノコと食用を見分けるためのワークショップがメイン。 基本知識は得たが、それでも相当経験しないとやはり危険を伴う。自分一人での判断は無理なので、この日はプロお墨付きのオイスター・マッシュルームとベアーズ・ヘッド(熊の頭)というキノコを持ち帰った。 採りたての滋味を味わいたかったので、ごく少量のバターと塩だけで軽~くソテーして食べた。う~ん秋の味!濃い! キノコ狩りは宝探しみたいで楽しい。もし見つからないとしても、湿った枯葉の独特の匂いの中歩くのは気持ちいい。森のいろんな微生物たちが浄化した空気を全身で浴びているみたい。 カナダは冬が早いせいか、サンクスギビング(感謝祭)はアメリカより1ヶ月早く 10 月半ば。それが過ぎた今は、冬に向かって一直線という感じ。 バタバタしていてクローゼットの中が夏服のままだから、今週どこかでセーターを出してこなくちゃ。      

毎日のときめき ― 空と雲、太陽と影

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カナダに来てから、空を見上げる機会が断然に多い。 10月の空。青の微妙なグラデーション。 郊外と田舎にいるせいもあるが、とにかく土地が広い=邪魔するものがない=視界の中で空の部分が大きい!だから意識しなくても目に入ってくる。 そしてそれはいつでも素晴らしいシーンだ。澄んだ青だけの時もいいが、雲の白とのコントラストもいい。 空が広いからずっと向うの雲まで見える 以前は快晴の日だけが好きだったが、今は曇りや雨の日も好きだ。それは、植物にとって大事な機会であるとともに、空がダイナミックな絵に変わるから。 雨雲の片方が夕陽にあたっている 白黒だけでもいろんなバリエーションがあるし、そこへカラーの虹や陽が加わるとさらに絶妙な図に。自然そのものがアート!田舎をドライブしていると、そうやって空にときめかされることが多々ある。 もくもくの雲の合間に現れた虹 11月の夕焼け。あまりの美しさにドキドキ。 雲の形も本当に面白い。時にお茶目。人や動物、いろんなモノに見えて想像力を掻き立てられる。 全く違うタイプの雲のコラボ。 燃え上がる炎?人の顔? たなびく旗に同調するかのような雲 ドクロ?インベーダー?それにしてもピンクが可愛い。 同じシーンはまたとない。だから晴れの日も曇りの日も全部好きなのだ。一瞬一瞬が即興絵画。そのはかなさ、尊さ、人間の力では到底及ばない自然の姿に心打たれるんだろうなあ。 火の玉のような黄金の雲 この2,3年で太陽の周りにできる光の輪「日暈」や「虹」もよく見る。でも、考えてみればそれらは実は日常的に発生しているもの。私が空をよく見上げるようになったからよく気づくようになった、とも言えるだろう。 新潟の粟島という小さな島で見た完璧な日暈。6月。 空が見える場所にいても、別なことに心が奪われていたらきっと気づかないだろう。太陽や空の素晴らしさはいつでもそこにあるのに、人間側の方でフィルターがかかって「見えない」状態になるんだと思う。 トロントのビル群の合間の日暈。何気に上が気になってふと見たらそこに。 私は今、太陽が作る影にさえ、惚れ惚れしちゃう時がある。だって、だっ

野菜作り1年生

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今年から野菜作りを始めた。 2 年前に植物への興味がぐんっと増してから野菜を作りたいと思っていたが、去年は NY4 回、日本 3 回も行ったものだから、とても世話できず断念。 今年は逆に、ずっとカナダにいるので、北の職場の滞在先コテージの花壇で試すことに。 色が綺麗なスイスチャド&ガーリックチャイブ 今まで同居人や友人が野菜作りをしていたのを手伝ったり眺めたり、自分ではプランター1つ2つでハーブ程度は植えていたものの、自分だけでちゃんと地面を耕して全部世話するのは初めて。 いやいや、思いのほか手がかかるものだ。鍬で土をならしたら全身筋肉痛!不器用ゆえ、トマトやキュウリの支柱は不安定!どのくらい成長するか読めず、野菜同士の間隔がキツキツに! 6ft.のフェンスも超え、もっさもさに育ったトマト! それでも、毎日成長を見るのがとても楽しかった。水をやるたびすくすくと伸びる。ちゃんと支柱をすればいい方向に伸びる。こちらの行為にちゃんとレスポンスが来ることを実感。 仕事でストレスがあっても、植物たちや土を触っていると、不思議にそれが和らぐ。ハーブなんかはたくさん採れるから、摘んで保存用に干す間、ずっといい香り。作業自体がまさにアロマテラピー。 レモンバジル、オレガノ、タイム、青じそ 毎日手入れしていると情すら湧く。強い風が吹いたり気温が下がれば心配にもなる。生き物の世話、そして思いやるという意味で、動物である犬のロウニンの世話と共通したものがたくさんあった。 ナスがトマトのお風呂に入っているみたい! * 今年はトライアル的に数多くの種類を2,3苗ずつ植えた。北は夏でも気温が低めのことがあるし、仕事の都合で数日世話できない時もあるから、まずは何がどううまく育つかを見るために。 ケミカルは一切使わず。時々有機肥料使用。雑草は土壌のバランスのために取らない方がいいとよく聞くし、個人的には雑草にも情が湧いているので、抜かずにあえて放置。結果、どれもよく育ったと思う。 たった花壇の 1 列とはいえ、野菜の種類はバラバラなので、 8 月半ばあたりから毎日なにかは取れるようになった。キュウリ、トマト、ニンジン、ビーツ、ナス、ピーマン、レタス、菜っ葉、オクラ、