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ロシアンママのレシピ

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今日は撮りためた写真の中から、ボスの奥さんが作ってくれた家庭料理をリポート。 ボスの奥さんは料理が得意。彼女自身はカナダ生まれだけど、ボスが日本人だから日本食だって作るし、新しいレシピにもどんどんチャレンジする。 でも私が好きなのは、彼女がロシア人であるお母さんから受け継いだ料理。ここに5つほど挙げてみよう。 1)ビート 二クス ( Beetniks ) 新鮮で立派なビーツが葉ごと手に入ったときに作ってくれる、ビーツの葉で包んだミニパン。ウクライナでよく食べられるそうだ。 焼く前の状態。柏餅みたい。 粉を練って作ったパン生地を小さく丸めてビーツの葉で包む。これを焼くだけで一応できあがりなんだけど、炒めた玉ねぎとディル入りのクリームソースで食べるのが王道らしい。 パンの出来上がり! 奥さんはいつも骨付きチキンも一緒に煮込むから、そっちがメインになっちゃって、ビーツの葉のパンは脇役に追いやられるけど! ディルと玉ねぎのクリームソースと共に。 パンの断面はこんな感じ 。 ビーツの葉はそれほど強いフレーバーでなく、赤紫蘇みたいな苦めのアクセントがある。(それがいい)パン自体はいたってプレーン。だからこそ、ディルのいい香りと玉ねぎの甘さとマッチする。 2)ボルシチ 上で挙げたパンはビーツの葉だけ使うから、「実」の方はボルシチスープに。ゴボウを食べた時感じる、根菜独特の大地の滋養が濃縮されている味!サワークリームをポトンと落とすと、濃いながらもスッキリした後味に。   ロシア料理の代表のひとつ! 3)ロールキャベツ 日本の比較的あっさり系とはまた違う、トマトとハーブと酢の効いたロールキャベツ! まずはキャベツを酢が多めに入った水で茹でる。これで葉っぱが柔らかくなると同時に酢の味も残る。 どどーんと大鍋で酢と一緒に茹でる。 ご飯(もっちり系でなくパラパラっとした米)と肉、玉ねぎとペッパーなどの好みの野菜、ハーブのディルを混ぜて具を作り、キャベツの葉で包んでいく。 耐熱鍋に並べてトマトソースを入れたら、オーブンで加熱。残念、オーブンから出たての熱々写真は撮るチャンスを逃しちゃった!代わりに冷蔵庫で

冬に見る色と春樹氏の本

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積もりたての雪が作る風景は美しいとはいえ、だいたい毎年2月を過ぎると、さすがに冬の長さと寒さに嫌気がさしてくる。今週の気温もほぼずっと氷点下で、雪も断続的に降っていた。度重なる雪かきで身体は ガチガチ、、、。 白黒の風景の中、白黒のロウニンがたたずむ。 毎日グレーな空と道路の汚れた雪を見ていると、墨絵の中に生きているような感じ。そうすると、時々お店で見るカラフルな商品がやけにビビッドに見える。 どどーんと真っ赤なチャイニーズスーパーの商品。今は彼らのお正月だものねえ。   干支の犬ももちろん真っ赤! ド派手なチャイニーズ・カラーとは別に、衝撃を受ける色と言えば花の色。色だけじゃなくて、気持ちが上がるいいエネルギーを発しているから惹かれるとも言える。吹雪の中スーパーに辿り着いて花屋に寄ると、一気に目が覚めるよう。   わあっと明るい気持ちにさせてくれる花の色 その衝撃によって?ついついそのまま花を買ってしまう。これが毎年の2,3月の「冬に飽きた時のパターン」になりつつある。お店もそこらへんは狙っているんだろうな。誰でも春は待ち遠しいもの。 今週は水仙のミニ鉢を購入。明るい色で気分がいい。 そして今回は花のみならず、鮮やかでキュートなピンクに惹かれて 毛糸の帽子も 衝動買い。冬物セールだったこともあるけど、雪の中で映えるこの色にただただ引きつけられた。(ついでに、後ろに見えるミニエコバックも文字のカラフルさとメッセージに惹かれて購入。なんと1ドルショップで(笑)) ところで、最近ちょっとずつ読んでいる村上春樹氏の「騎士団長殺し」は主人公が画家。花や帽子を買った日に読んだ部分は、偶然にも絵の具や色彩についての描写の章で、「お、プチ・シンクロニシティ!」なんて思ったっけ。 春樹氏の本は前作もそういえば色にまつわる本だった。(「 色彩を持たない 多崎つくる と、彼の巡礼の年」 ) 彼も何か「色」に惹かれるものがあったのかな。 ところで、話は「騎士団長殺し」に戻るが、主人公が登場人物メンシキさんの肖像画を描く際に、キーになる緑色を「雨に鈍く染まった緑の木の葉」「雨に濡れた雑木林のもたらす緑色」と表現している。 この時、私がここのところ綺麗だなあ

動物と人間の関係を考える

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SNS を使っていると、誰かがシェアしたペット・動物ネタを目にする機会が多い。無垢な表情でほっこりさせられるもの、その賢さに驚かされるもの、いろいろあるけど、耐え難いのは虐待はもちろん、動物に強制して何かやらせているもの。 可愛いブタちゃんたち。 NY 郊外のファームにて。 そんな行為は当然嫌だけど、私は小さい時に犬を飼った以降は、動物との接点はすっかり消え無関心に近かった。人間社会の問題だけで翻弄されていたとも言える。 しかし、カナダで犬と一緒に住み、植物を育て、自然を身近に感じる環境にいたら、自分の中の違うセンスが開いたのか、「動植物も人間も、全部が地球上の生物、全部が仲間」という意識になった。 だから前述の虐待や強制のシーンを見ると、「我がこと」として胸が張り裂けそうになる。 一方が一方の意志を無視して行う行為は理不尽だ。 だけど人間は大昔から、動物を狩猟し食用・生活用に、または家畜を育て労役に利用してきた。自分たちの生活のために。 動物同志だって、弱肉強食のもと争いを余儀なくされる。厳しい自然で生き抜くため、そして種を守るため本能的 に。 何が残虐で、強制で、何が生存行為、共存行為かは、一概にはいえないところがある。   * * * いいか悪いかは別として、現代の動物と人間の関係(人間社会での動物の役割)を思いつくまま挙げてみた; 1.食用 (肉、ミルク、卵等) 2.産業原料 (医療品、加工食品、皮革製品、肥料等) 3.労役    a.   生活 (荷物運搬、移動手段、狩猟補助等)    b.   産業 (農耕、動物実験等)    c.  特別任務 (警察犬、盲導犬、救助犬、セラピー等)    d.  エンターテイメント (サーカス、動物園、水族館、動物を使った観光客向けの乗り物や犬ぞり、闘犬、闘牛、競馬などの闘技・競技、等) 4.パートナー、家族 こうして並べてみると、人間は動物を利用しまくっているではないか!では人間は動物に何をしてやれているのだろうか?環境破壊して種の絶滅を招いてはいても、良いことは思いつかない、、。 また、人間同士で動物に対して様々な意見の相違が生まれるのも、これだけ広範