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7月, 2019の投稿を表示しています

見知らぬ町で

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長らくそういう時間をもっていなかった。日常を離れて、完全に一人になって自分と繋がる時間。 去年からの劇的変化による忙しさは続いているが、ここ1、2ヶ月は特に余裕がなく、その日必ずやらなければならないことだけをやっても睡眠時間が 4、5 時間という日がほとんどだった。 しかしそろそろストレスが溜まってきたので、少し前に、えいっと、一人で遠出を決めこんだ。 といっても、旅というほどのものでなく、車でちょいと北に行った、なんの変哲もない湖畔の小さな町に 3 日ほどの滞在。 そこでやっと自分を振り返ったり、少しだけ書く時間が取れた。 街ブラしていて見つけた、かわいいアイスクリーム屋さん。 * * * 忙しいこと自体は苦ではない。 公私ともにやりたいことの計画を立て、限られた時間で目いっぱいの成果や進捗を得ようとするのは私のタチ。そういう忙しさはむしろこなせばこなすほど達成感が増し、苦しみ以上の喜びすらある。 ストレスを感じるとすれば、、、それは、その忙しさの種類が狂った時だ。 例えば、予期せぬことが起こったり、 1 年や数年に一度しかない用事があったり、あるいは他者の影響で、いろんなことが後手に回り、効率的でなくなった時。 同じ「忙しい」でも、こうなると追い立てられる中で何かをこなすだけの雑な状態になってしまう。 とはいえ、人生なんてそうそう予定通りいくものじゃないこともわかっている。また、人はこの社会で生きている以上、必ず他人と関わっているから、外からの影響も常に受けるのだ。 それも見込んで余裕持って計画立てればいいだけなんだよね。ただ、ここのところ本当にいろんなことに振り回されちゃったので、やっぱり時々は立ち止まって体制を立て直す時間というのがいるのだ。 それには、まずはスケジュールや To Do リストの整理をすればいいわけで、それ自体は自宅でだって出来るんだけど、、、日常からあえて『物理的』に離れることも、結構大事だと思う。 日常から離れて自然の中へ うまく説明できないけど、普段自分のいる場所や見るものって何かしらの気持ちが入っていてそれに引っ張られたり、あるいは、やれ洗濯しなきゃとか、あれ買わなきゃとか生活の諸々に引っ張られること

木曜日の怪 その2 ~まさかの再訪!~

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前回に続き、もうひとつ奇妙な体験を、、、。 ある日の朝。晴天の気持ちのいい朝だったので、私は会社にいつもより早く行ってデスクの整理をしていた。 すると、建物の奥の方から、同じく始業前に早く来ていた同僚の呼ぶ声が聞こえた。 何事か?と行ってみると、なんと彼が顔から流血していて、必死にティッシュで押さえているではないか! 聞けば、ちょっとしたアクシデントで機械のフレームに顔をぶつけたという。鋭利なフレームではないものの、勢いがあったため顔に裂傷が。 これは病院行きだな、と明らかだった。 怪我した本人は歩けるし話せるが血を抑えているため運転はできない。しかし 他のスタッフは出張で不在だったり、朝どうしても外せない仕事があったり。ということで、私が急患窓口に彼を連れていくことになった。 引越してきて半年、まだ街の病院どころか町医者や歯医者すら行ったことのない私。ましてや、大病院の救急窓口なんてどこかもわからない。そんなところ、よっぽどじゃなきゃ行く機会なんてない! 怪我をした本人の方が「以前子どもが熱を出して、〇×病院の救急センター連れて行った。そこが一番近い。」というので、彼の案内で病院へ。 おかげで病院までの道と(私の家のすぐ近くだった!)、救急窓口に一番近い駐車場、そして受付場所まで、スムースに辿り着いた。やれやれ、どっちが連れてきてもらったんだか、、、。 幸いなことに、トリアージ(患者の緊急度により対応の優先順位を決める過程)を受ける頃には血は収まってきていた。ただ、会社への報告があるので、私はずっと彼について診察室や処置室にも同行した。 結局数針縫うことになって、医者は私に「縫う時、横に居てもいいよ。」と冗談っぽく言ったが、縫うところなんて見たくない!さすがにその間は席を外し、トイレや廊下をうろうろして待った。 そして、「救急センターなんて、ニューヨークで友達に付き合って来たとき以来だな。」なんて思い出していた。あれは、クイーンズのエルムハースト病院。きっと 10 年くらい前のことだ。 思ったよりも傷は軽く、本人も痛みはほぼないという。大事に至らず良かったし、私としては、オフィススタッフとして、急患が出た場合の対応の勉強となった。 さて、その日の夜―。