本は読まれる時を待っている


たまたま何気なく手にして読み始めた本が、その時自分の求めていることや考えていることと一致して驚いたことはないだろうか?


私はたびたびそれがある。

最初から「読みたくて」とか、「何かヒントを求めて」あるいは「興味のあるテーマだから」などといった理由で選ぶ本でなく、旅先でぶらりと入った場所でたまたま手にした本とか、どこかで待ち時間の時間つぶしでそこらへんに置いてあった本とか、そういう「狙っていない」ときの話。

いわば、中身もわからず偶然手に取った本なのに、その時自問自答していたことへのヒントがあったり、強く惹かれるものがあって深く読み入ってしまう本。あるいは、その本との出会い自体が意味深いもの。

そんな時はまるで、「本が私に読まれるのを待っていたみたい!」なんて思っちゃう。

例えば、、、実家に帰省中は、父や母に付き合って町の図書館に行くことがあるが、そんな時は私も帰省中に読み終われる本1,2冊を便乗して借りる。だいたい歴史マンガか薄めの小説。

ところが数年前のあるとき、図書館の科学系セクションの前を通ったときに、なぜかそれまで全く興味のなかった『宇宙の仕組み』というようなタイトルの本を手にした。それは私がついていけそうな小学生向けの本。さらには物理の本も手に。

自分でもわからないけど借りて、自分でもわらないくらい没頭して読んだ。自分の意志のようで意志じゃない。しかし、それを境に、私は科学にとても興味を持ってネットで記事を読んだりするようになった。

あれはなんだったんだろう?なぜ私はあれらの本を手に取ったのだろう?

それから、ある時、犬のロウニンの影響で秋田犬の本を読んでいた。東北のある秋田犬とそれを育てたお父さんの話なのだが、そこで私が予期せず得た知識は、主人公のお父さんとその奥さんがしていた山の暮らし。特に山の植物を工夫した料理や保存食について。


折しも、野草や自然の食に急激に興味を持っていた頃だったので、「わあ、こんなところに嬉しい情報が!」と、犬の話のために選んだ本だったのに、偶然の「棚ぼた自然食情報」に喜んだっけ。

続いて、これは自分の中でトリ肌が立つような経験。

今年の始めの事。日本から持ち帰って読まずにいた村上春樹氏の『騎士団長殺し』を、急に読む気になって寝る前に読み始めたのだが、読み進んで行ってびっくり。

主となる登場人物の一人に「雨田具彦」という画家がいて、彼はアンシュルス(ドイツのオーストリア併合:1938-1955)の時代にウィーンに留学していた。その時のエピソードが物語のキーにもなっているのだが、その設定は私が一度本を閉じてしまうくらい私を驚かせた。

なぜなら、私はちょうどその1週間ほど前に、外部の全く初めて会う70代後半の男性(仮称:P氏)と仕事で関わることになったのだが、その人はなんと、アンシュルスの時代にウィーンに生まれ育った人だったから!!彼はウィーン生まれのドイツ人で、ちょうど彼の幼少期の話を聞いたばかりだったのだ。

ちなみに私、『騎士団長殺し』のあらすじや登場人物は全く知らなかったし、レビューのひとつも読んでいない。日本からは他にも10数冊本を持ち帰ったし、さらには以前からの未読本も多々積んである中、そのとき何気なくそれを選び読み始めたのだった。


もし昨秋に日本から戻ってすぐ『騎士団長殺し』を読んでいたら、まだP氏には会っていない。逆に、年明けに他の本を先に読み始めていたら、雨田氏のエピソードなど知らないままP氏の話を聞いていた。P氏とはそこから数ヶ月だけの関わりだったので今はもう会っていないし。

それが、本とP氏の出会いが同時期に重なるなんて、、、!いや、アンシュルスなんて私の人生でかつて何らかの形で登場したことは一切なかったし、正直その歴史も名前もよく知らなかった。

加えて、70代後半の人と一緒に仕事をする機会やトロントでアンシュルス時代のウィーン生まれの人と会うことなんて、そう無いだろう。だから、もしそれぞれを知る時期がずれていたとしても、本と現実のつながりには十分驚く。

そうなると、この件はシンクロニシティとも言えるかな。そう、本との出会いはそういう要素も持っている。

シンクロ的な本との出会いならまだまだある。

アメリカの作家でハーパー・リー(Harper Lee)という女性がいた。南部での人種差別を描いたTo Kill a Mockingbird(日本語では「アラバマ物語」)という小説がヒット、それは映画になり公民権運動と関連して学校の教材にもなった。ただ、有名作品にも関わらず、私は作品も作家も知らなかった。

知ったのは数年前にネットで偶然。仕事の合間のコーヒーブレイク中、何かをサーフしていて行き着いたゴシップ系のサイトで、いろんなテーマで10-20人の有名人をリストアップしていた中でだ。


そこの「表舞台から姿を消した人」みたいなテーマの中に、最近の女優などに交じってハーパー・リーがいたのだ。なぜなら彼女は、1960年に『To Kill a Mockingbird』を出版して以来、新作を出すことなく公の場にも姿を見せていなかったから。

「へー、サリンジャーみたいだな。」

(※「ライ麦畑でつかまえて」のJ.D.サリンジャーもあるときから作品出版を止め、数十年の隠遁生活に。)

そう思ってリー氏の経歴を読み、彼女の本にも興味が湧き、「そのうち読んでみよう」と、アマゾンで『To Kill a Mockingbird』の中古本をカートに放り込んだ。

次の日。

私はあるブレーキング・ニュースに驚かされた。なんと、リー氏が約四半世紀の沈黙を破って、新作を出版するという。新作の名は前作の続編と言われるGo Set a Watchman』(さあ、見張りを立てよ』。

えええええっ!「50年以上も黙っていた人」として知った日の翌日にその沈黙が破られることになるとは!?

新作のニュースが先で、その影響でネットでいろんな情報が挙がってくるならわかる。

しかし、私が見たゴシップ的「なんでも20選」リストは、すでに以前作られたもので、たまたま私が前日行き着いただけだ。しかもリー氏に特化した情報でも文学系の情報でもなく、単にゴシップ的テーマの20人の1人であっただけ。それを見た翌日に彼女の50年ぶりのニュースが入るなんて、、、。

逆に、前日にそのゴシップサイトを見ていなかったら、私はブレーキング・ニュースをスルーしただろう。「へえ、そんな人がいたのか」程度で終わったはずだ。しかし、ニュースの直前に私はリー氏を知り本を買っていたのだ。

これも、『騎士団長殺し』と並び、ちょっとトリ肌ものだった、、、。


このほか、

・ 友達とレアな話をしたあと古本屋に寄ったら、ごちゃごちゃの山積みになった一番上が、その友達と話していた件の本だった、とか、

・ 料理本を見たくて本屋でそのコーナーに行ったのに、誰かが返すのが面倒でそこに置いたのか、違うジャンルの本が無造作に置いてあり、それが自分がその時すごく興味ある本だったとか、

・ 日本滞在中にロウニンが恋しいなあと感じているときに読んだ本の中に、犬とは関係ない題材の小説なのに、予想外で犬との切ないエピソードが入っていたとか、

・ 自分が持っている本で20年ぶりくらいに開き「ああ、この挿絵懐かしい」と眺めた数時間後に行った蕎麦屋で、自分が座った近くに置いてあった画集を何気に開いたら同じ絵が収納されていたとか(そもそも挿絵の方も画集の方も作者名を知らなかったが、同じ作者だった。20年ぶりに同じ絵を違う場所で同じ日に見るか!?)

・ 時間つぶしに図書館で適当に選んで借りた本が、実は自分のドツボにはまる本で、今も忘れられない本になったり、

とにかく本の方が私を「呼んだ」ような、シンクロが起こっているような、そんなことがしばしば起こる。おそらく多くの人にも、シンクロとまではいかずとも、本との運命的な、あるいはミステリアスな出会いがあるんじゃないだろうか?

そうやってみると、本の中身はもちろん、「その本とどうやって出会ったか」も、一つの本の楽しみ方と言えるかもしれない。


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