A Change Is Gonna Come (1) ~ 過去を振り返る時 ~

しばらく頭になかったし、しばらく訪れてもいなかったけど、この2,3週間、ニューヨークにいた頃の自分を思い出すことが多かった。

留学初年(2004年)の今頃撮ったセントラルパーク

それは今、私が人生のある変化を迎えつつあって、先のことをいろいろ模索しているからだ。先のことを考える時というのは、「じゃあどうやってここまで来たか」と、自然に過去を振り返ることにもなる。

そういう内面の話はまたあとで書こうと思うが、偶然にも同時期に、自分の外側からも、ニューヨークを思い出させられたことがいくつかあったので、まずはそちらの話を。


1)アメリカ大統領選中間選挙

今週の中間選挙で、自分がアメリカにいた2008年にオバマ氏が初勝利したときの本選挙を思い出していた。今のトランプ政権の動向を気にするよりも、「あれから10年か!」という想いで感慨深かった。

2008115日のニューヨーク・タイムズ紙。
(私はこの日得た新聞を今でも保存している!)



オバマ氏の登場は歴史的だったが、私の人生の中でも、ちょうど大学で公民権運動を学んだり、人種・民族問題について人々の意識が高い社会にいたタイミングと重なったことが、幸運に思えてならない。

キング牧師やマルコムXが公民権運動を展開していた頃、人気黒人ソウル歌手のサム・クックが、ボブ・ディラン『風に吹かれて』に触発され、人種平等社会を目指してリリースした『A Change Is Gonna Come (1964)(変化の時はやってくる)』という曲がある。少し前に亡くなったアレサ・フランクリンも歌っていた曲だ。

この中で彼は、

♪ It's been a long,a long time coming(ここまで来るのにとても長い時間かかった)

♪ But I know a change is gonna come, oh yes it will(でも僕は知っている変化の時は必ず来るってことを、、、

というフレーズを繰り返し、情感込めて歌っている。

オバマ氏が登場した時、多くの人々が、サムが歌った「変化」がようやくやってきた、と感じただろう。そして人々のHOPEを、当時の私も肌で感じていた。

背景も問題の大きさも違うけれど、「新しい波」「待ち望んだ変化」が来る、という意味で、あの時のアメリカと私は心境がかぶる。

それでサムの曲名を今回のブログエントリのタイトルにさせてもらった。声も歌詞も心に染み入るこの曲を、ここに貼り付けておこう、、、。

(Posted by SamCookeVEVO)


2)美しい紅葉と冷えた空気
ニューヨークを思い出した別のきっかけのひとつは、五感で感じるこの季節。紅葉、枯葉の香り、冷たく澄んだ空気。

ニューヨーク時代、この季節によくロングアイランドやアップステートにキノコ狩りだの森散策だのしていたから、頭で意識しなくとも、五感が記憶を蘇らせてくれるのだ。


ふと、「あの森に飛んでいきたい」と思うが、同時に、変化を迎えつつある今は、その波が収まるまでここにじっとしていなくては、と思う。きっと今じゃない。行こうと思えばいつだって行けるのだから、焦ることはない、、、。

そうやって去年も同じ想いで、ロングアイランドの公園を不思議な体験とともに懐かしんでいたっけ、、、。

→ 関連エントリ:『隠された墓



3)メールをいただく
ニューヨーク時代に書いていた私のブログ『NY日記COLORSの読者だった方から時々メールをいただく。旧ブログには、このカナダブログのリンクを貼ってあるので、そこから飛んできて引き続き読んでくださっている方々だ。この場を借りてまず御礼します。ペコリ。

旧ブログでは、日本で働いたあとの30代での留学や、慣れない海外生活や仕事をメインに綴っていた。メールを下さる方も、だいたい同世代の女性で、何かしら海外でチャレンジした方、しようとされている方、あるいは事情があって断念した方などが多い。

そのストーリーをメールでいただくと、自分のチャレンジと重なって、同志のように嬉しく、また、励まされる。そして、以前の自分を振り返る機会も与えてもらっている。

以前の勤務地の近く

振り返ると、以前も今も、結果して何かしらに満足できず、あるいはまた別な何かを探したくなって、変化を望んでいる。ないものねだりだったり、さらなる欲が出るのは、ある意味自然なことで、生きている間ずっと続く。ずっと何かを探し追い求める。

しかし、ある時立ち止まって、過去の自分を振り返ると、最初の地点からずいぶん遠くまで来ていることに気づく。過去の自分では想像もつかないくらい。

例えば、英語が全くできずにアメリカに行った私は、今では(能力に限界があるが)英語を使って仕事をしている。留学前の自分からは到底考えられないことだ。

ブルックリンの私が行った大学の近くにて。

振り返ると、その時その時くすぶっていた自分を何度もやり過ごして、次のステージに進んで、また新たなハードルの前にいることがわかる。前進している最中は、目の前のことで悩んでばっかりで、過去のハードルのことも、それを越えたという事実も忘れがちだ。

メールを下さる方々も、それぞれが苦難や喜びの中を通ってきただろう。どこかの時点で夢を断念していたとしても、代わりに進んだ道で、やはり何かを選び、学び、前に進んでいるのだ。

ブログを書いていて良かったな、と思うのは、自分で自分を客観的に振り返えられること。

一見些細に見える感情や気づきでも、前進しているさなかのものは、その時の自分にしかわからない。それらを書き残しておくと、あとで非常に参考になる。「ああ、そうだ、自分はこういう想いがあったんだ!」と。

大学への通学で使ったGトレインの駅。今はすっかり様変わりした。

さらには、そうやって綴ったことが他の人に共感をもたらし、少しでも励ましになるのなら、それはとても嬉しいこと。だからそれをわざわざメールに書いて私に伝えて下さる方々には感謝、、。

ニューヨーク後に東京やカナダで暮らしてからは、また違った種類のチャレンジと葛藤があった。それはどちらかというと内面的であると同時に、自然や動植物の世界観も入るという、普遍的・宇宙的?な思考も入っちゃってきている。

ニューヨーク時代の「まず行動!」というような激しさはないが、自分の心が求めるままに進もうとするところは、今も変わっていない。ニューヨーク時代の私を知っている方、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

(ちなみに、このブログはコメント機能があまりフレンドリーでないようで、、、。もしコメントなどいただけるときは、すぐの返事はできませんが、メールでもOKです→ tothenorth7gmail.com(★をアットマークに変えて下さい))

さて、ニューヨーク時代や、今日は書かなかったけれど、その前の時代にもいろいろと想いを馳せつつ、私は今、これから歩む道について考えているところ。

その諸々もそのうち書き残しておこう。ずっとあとの未来の自分のために。

私が出たあと、住んでいたクイーンズ・アストリアに出来たカフェ

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