毎日のときめき ― 空と雲、太陽と影

カナダに来てから、空を見上げる機会が断然に多い。

10月の空。青の微妙なグラデーション。

郊外と田舎にいるせいもあるが、とにかく土地が広い=邪魔するものがない=視界の中で空の部分が大きい!だから意識しなくても目に入ってくる。

そしてそれはいつでも素晴らしいシーンだ。澄んだ青だけの時もいいが、雲の白とのコントラストもいい。

空が広いからずっと向うの雲まで見える

以前は快晴の日だけが好きだったが、今は曇りや雨の日も好きだ。それは、植物にとって大事な機会であるとともに、空がダイナミックな絵に変わるから。

雨雲の片方が夕陽にあたっている

白黒だけでもいろんなバリエーションがあるし、そこへカラーの虹や陽が加わるとさらに絶妙な図に。自然そのものがアート!田舎をドライブしていると、そうやって空にときめかされることが多々ある。

もくもくの雲の合間に現れた虹
11月の夕焼け。あまりの美しさにドキドキ。

雲の形も本当に面白い。時にお茶目。人や動物、いろんなモノに見えて想像力を掻き立てられる。

全く違うタイプの雲のコラボ。

燃え上がる炎?人の顔?

たなびく旗に同調するかのような雲

ドクロ?インベーダー?それにしてもピンクが可愛い。

同じシーンはまたとない。だから晴れの日も曇りの日も全部好きなのだ。一瞬一瞬が即興絵画。そのはかなさ、尊さ、人間の力では到底及ばない自然の姿に心打たれるんだろうなあ。

火の玉のような黄金の雲

この2,3年で太陽の周りにできる光の輪「日暈」や「虹」もよく見る。でも、考えてみればそれらは実は日常的に発生しているもの。私が空をよく見上げるようになったからよく気づくようになった、とも言えるだろう。

新潟の粟島という小さな島で見た完璧な日暈。6月。

空が見える場所にいても、別なことに心が奪われていたらきっと気づかないだろう。太陽や空の素晴らしさはいつでもそこにあるのに、人間側の方でフィルターがかかって「見えない」状態になるんだと思う。

トロントのビル群の合間の日暈。何気に上が気になってふと見たらそこに。

私は今、太陽が作る影にさえ、惚れ惚れしちゃう時がある。だって、だって、その形を映し出すってすごいことじゃない?それらは物体として触れられるわけじゃない。でもそこに人間の目で見える色や形を創り出してる。(ホログラムと同じ原理?)

木の枝の影がイキイキ。
ロウニンと私。リアル!

空の素晴らしさに気づかない状態や、影や虹のような触れられない物体は、「人間の目に見えるものだけがこの空間にいるわけじゃない」「人間が触れられるものだけが「存在」ではない」そんな考えを与えてくれる。

雲の合間から差し込む鋭い光

突き進むと、素粒子とか量子とかに興味が湧いてきて、それでネットでいろいろ読み始めるが---難しすぎて途中でわけわからなくなってやめる、の繰り返し(笑)

とりとめなくなったが、、、とにかく、以前の私は空をまじまじと眺めた記憶がほとんどない。きっと目の前のことに必死だったんだろう。

今ももちろん一生懸命だけど、、、空の偉大さを毎日これでもかと見せつけられていると、目の前の仕事やちょっとした悩みなんか、ふとちっぽけに感じてしまう。

11月の夕焼け。自然の作るカラーは素晴らしい。

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