動物と人間の関係を考える

SNSを使っていると、誰かがシェアしたペット・動物ネタを目にする機会が多い。無垢な表情でほっこりさせられるもの、その賢さに驚かされるもの、いろいろあるけど、耐え難いのは虐待はもちろん、動物に強制して何かやらせているもの。

可愛いブタちゃんたち。NY郊外のファームにて。

そんな行為は当然嫌だけど、私は小さい時に犬を飼った以降は、動物との接点はすっかり消え無関心に近かった。人間社会の問題だけで翻弄されていたとも言える。

しかし、カナダで犬と一緒に住み、植物を育て、自然を身近に感じる環境にいたら、自分の中の違うセンスが開いたのか、「動植物も人間も、全部が地球上の生物、全部が仲間」という意識になった。だから前述の虐待や強制のシーンを見ると、「我がこと」として胸が張り裂けそうになる。

一方が一方の意志を無視して行う行為は理不尽だ。だけど人間は大昔から、動物を狩猟し食用・生活用に、または家畜を育て労役に利用してきた。自分たちの生活のために。

動物同志だって、弱肉強食のもと争いを余儀なくされる。厳しい自然で生き抜くため、そして種を守るため本能的に。

何が残虐で、強制で、何が生存行為、共存行為かは、一概にはいえないところがある。


 * * *

いいか悪いかは別として、現代の動物と人間の関係(人間社会での動物の役割)を思いつくまま挙げてみた;

1.食用(肉、ミルク、卵等)

2.産業原料(医療品、加工食品、皮革製品、肥料等)

3.労役

  a.  生活(荷物運搬、移動手段、狩猟補助等)

  b.  産業(農耕、動物実験等)

  c.  特別任務(警察犬、盲導犬、救助犬、セラピー等)

  d.  エンターテイメント(サーカス、動物園、水族館、動物を使った観光客向けの乗り物や犬ぞり、闘犬、闘牛、競馬などの闘技・競技、等)

4.パートナー、家族


こうして並べてみると、人間は動物を利用しまくっているではないか!では人間は動物に何をしてやれているのだろうか?環境破壊して種の絶滅を招いてはいても、良いことは思いつかない、、。

また、人間同士で動物に対して様々な意見の相違が生まれるのも、これだけ広範囲な依存を考えると無理はないと思う。上記カテゴリーのそれぞれの立場では観点が違うのだから。

例えば、動物を利用した上でギリギリ生活が成り立っている人と、単にペットとして接している人では、考え方がまるで違うだろう。食用犬や捕鯨の問題なんかは、それに加え歴史・地理的文化も絡んでいるだろうし。


ドイツでは「動物の権利」が制定されていると聞く。特に飼い犬はすっかり家族と捉えられ、犬権とともに犬税もあるし、犬は公共の乗り物に乗れる分、運賃も払うそうだ。では、産業原料とかエンターテイメントの方ではどういうスタンスなんだろ?

ところで動物側にたって考えると、犬に職業犬になるための厳しい訓練を積ませるのと、サーカスの象やライオンに訓練を積ませるのは、違いがあるのだろうか?待遇や使命は大きく違うだろうが、いずれ人間のベネフィットのための「強制」という意味では近い気もしてくる。

こんな疑問は、普段私が犬のロウニンに接するときにもふと浮かんできて、例えば最近ためらうのは、ロウニンに「おすわり」とか「お手」をさせること。これは果たして従わせるための命令にあたらないか?と。

健気にじっとお座りをして待つロウニン

「ご飯だよ」「おやつだよ」を知らせる生活上の合図、共同生活のルールを学ぶための躾、と思えばむしろ必要な行為だろうし、健康な食事管理も必要だけど、ペットというのは、自分で食べたいものを食べたいときに得られないし、散歩に出たくても自分の意志で出られない。

それなのに、言うことをきかないとあげない、させない、というのはどうも理不尽な気もしてきて、、、。同じ言葉でも命令にもなりえるし、合図にもなりえることに気づきしばし悶々。

こうしてつらつらと、どういう関係がフェアか?なんて考えていると「ああ、動物たちと意思疎通が出来たらな!」なんて思っちゃう。そしたら彼らの意志や生きがいを聞いて、それに合わせた関係が築けるのに。

動物はしっぽでも表現してくれるけど、もっと話したいよお!

そして時々、子どもの頃飼っていた犬を思い出して申し訳なく思うことがある。当時、日本ではそれがごく一般的で何の疑問も持たなかったのだが、屋外でたいして長くもない鎖に、散歩やたまに放す以外はつなぎっぱなしで何年も飼っていたのだから。

時々散歩や糞の始末を忘れたり、食事が非常に遅れたりもした。お腹が空いても運動したくても鎖につながれ自由が利かない。それは、北米では虐待行為の域だ。

北米とアジアでは犬の扱い方が違うとはいえ、私は今になって罪の意識を感じている。すでに亡くなっている犬に罪滅ぼしが出来るわけもなく、せめて今一緒にいるロウニンに出来るだけハッピーでいて欲しいという想いで世話をしている。
 
毎晩ロウニンの好きなマッサージをしてあげる

上記で挙げた動物と人間の関係1~4について、私は賛否を言うほどの知識をまだ持たないが、どんな場面でも、動物には基本的に感謝と愛情ある待遇が必要と思うし、代替物によって動物の利用はできるだけ避けるのがいいと思う。

しかし、単に人間の娯楽的満足(エンターテイメント)のために行われる動物への強制や、人間の曲がった欲求処理のための虐待は、決して必要なものではない。これらはやめるべきだと思うし、自分のそのための何かをしていきたいな。
 
人間も動物もハッピーに!

* * *

1. 最近友人がFacebookでシェアしていた動画。ちょっとショッキングな絵なので注意。でもこの描き方は問題をストレートに私たちに投げかけるいいアイデアだと思う。

Illustrations Art Of Parallel Universe (パラレルユニバースの図)

posted by The Mirror Post, Art By:Barbara Daniels 


2. これも見るのがつらいけど、注意喚起の意味でリンクを。

Here's The Truth Behind Your Elephant Ride(ゾウ乗りの裏側にある事実)

BY ANITA DIAMANTOPOULOU AT THE dodo

コメント

  1. 匿名2/04/2018

    昨日なんとなくサリーさんはどうしてるのかな?ブログは再開してないのかな?と旧ブログを覗いたら、新しいブログがあるとの事で見に来ました!
    今度はカナダなんですね。興味あります。
    楽しみに拝見します。
    極寒そうなのでお身体に気をつけて下さい。
    ロウニンも^o^

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    1. わー、旧ブログからの訪問ありがとうございます!NYも寒かったけど、こちらはそれ以上!でも自然の素晴らしさを体験しています。これからもよろしくお願いします♪

      削除
  2. Sallyさん、お久しぶりです。
    私も偶然旧ブログを見て、こちらにやってきました。
    その後どうなさったのかと思っていたら、カナダにいらっしゃるのですね。
    ブログゆっくり拝見させていただきます。
    楽しみ♪

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  3. tebeeさんも旧ブログからいらっしゃいませ(笑)コメントありがとうございます。いまだ旧ブログをのぞいて下さったことも嬉しいです。またここでもよろしくお願いしま~す。

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