グレン・グールドに会った夜

グールドの母校トロント王立音楽院そばで
1982年に亡くなったカナダ出身のグレン・グールドというピアニストがいる。彼の大胆な演奏解釈や類まれなるテクニックはセンセーショナルで高い評価を受けている一方、バッハへの異常なほどの傾倒やエキセントリックな言動でも有名なピアニストだ。

しかし、今から書くことはピアノやクラシックの話ではない。そもそも私はクラシックの知識も普段聞く習慣もなく、その分野では何も語れない。

そんな私が彼を知ったのは、ニューヨークでの学生時代、一般教養の選択科目にあった音楽の授業でグールドが題材になった時のこと。

教授が説明したクラシックの部分は、案の定聞いてるそばから忘れていったものだが、セーターで演奏会に出たり、必ず父親の作った異様に低い椅子で演奏したり、自身でドキュメンタリーを制作したりと、変わったエピソードが多々あった「ユニークなピアニスト」ということで、その名前と奇抜ぶり、そして彼のフィルムの数場面だけはその時印象に残った。

しかし、グールドがカナダ出身であることは全く記憶になく、音楽の授業を取った学期が終わってしまえば、彼を思い出すこともなかった。

それから一体何年経っていたんだろう。

今からちょうど2年前の20138月末、私は突然グレン・グールドを思い出すことになる。いや、再会、という方が正しいか―。

それはトロントから北へ行ったシムコー湖そばの仕事のため、同地の会社のコテージに一人で泊まった、暗く静かな夜だった。

8月とはいえ北の地、すでにひんやりとした空気だったのも覚えている。寒いな、と思ってガバッと布団をかぶったら、ちょうど近くを走る列車の汽笛が聞こえた。

え、ちょっと待って。汽笛?

その時はちょうど夜中の12時。なぜ時間を覚えているかというと、「こんなに遅くに列車が走っているのか?」と驚いて時計を見たからだ。

そして、私は「ぼーーーーっ」と長い音を鳴らす汽笛を聞いた時、自分がピュンっと過去に飛んだかのような感覚があった。考えてみたら汽笛を聞いたことなどもう何年もない。汽笛が聞こえるような場所では生活していなかったのだ。

ずっとさかのぼれば、実家の近くに駅があったから、小さい頃に聞いていたのが最後の記憶かもしれない。なるほど、だから過去の音と感じたのか?

でも厳密には、実家で聞いていた音というより、大戦時のシベリアかどこか、とにかくだだっ広い平原で聞こえるような、古く、暗く、物悲しいイメージが私には浮かんでいた。時間が過去に飛んだだけでなく場も飛んじゃってる。考えてみたら、自分が生まれる前の時期や行ったこともない場所を「思い出す」感覚も不思議だけど。

しかし、不思議な感覚はそれだけに終わらなかった。次の瞬間から、なぜか空気がさらにひんやり、重く感じたのだ。音の記憶が過去を感じさせることはあり得るだろう、しかし、まさに今、肌が感じているこの空気の変化は何!?

一瞬、時空が変わったかのような重さ。まるで汽笛によってスイッチが切り替わったかのように。

そんな空気の中、私はある気配を感じた。何か動いてる?いや、「誰か」がそこにいる―。

暗闇の中では何も見えない。でも人が空気をさいて歩いているような気配が確かにしたのだ。そんな私の感覚はミシッ、ミシッっという廊下の軋みも作り出している。本当のところどうかわからないが、そういう音がしているような気がするのだ。

布団の中でじーっと我慢する私。そのうち(といってもトータルで数秒くらいの出来事なのだが)「気配」が去っていくのがわかった。でもその気配が引く瞬間、なんの脈絡もなく私の目に浮かんだものは、なんとグレン・グールド。

雪で覆われ荒涼としただだっ広い北の大地に、痩せて背中をちょっと丸めたグールドが寒そうに立ってこちらを見ていた。

それは、かつて授業の中で見た彼制作のフィルムの一場面だ。

ええっ、なぜグレン・グールド?

ビックリしつつもその後寝てしまい、グールドの登場はそれだけに終わった。

翌日、前夜のことを不思議に思い、グールドについてインターネットで調べてみることにした。それまでは彼の名前といくつかのエピソードとフィルムの場面だけで、他は何も憶えていなかったからだ。

そして私はすぐに衝撃を受けることになる。

まず、彼が、私が今いるカナダ出身であることをその時初めて知って驚いた。

また、彼が立っていたフィルムのシーン―あの北の大地は北欧かどこかだと漠然と思っていたけど―それもカナダであることがわかった。

それよりも衝撃は、、、、

なんと、彼は幼少期の夏、私が泊まったコテージのすぐ近くで過ごしていたのだ!!

それを知った瞬間、ト・リ・ハ・ダ。

もちろん、私が感じた気配は単なる夢だったのかもしれない。あるいは汽笛の音が広大な北の地を連想させ、それが私の深層の記憶の中のグールドのフィルムの場面とリンクしたのかもしれない。

でも、でも、それまで思い出したことがなかったグールド、しかも近所のコテージに来ていたどころか、カナダ出身ということさえ私は知らなかったのだ。その彼が唐突に私の頭に登場するか??

前夜現れたのは、「ご近所」にたたずんでいたグレン・グールドだったとしか思えない、、、。

それから私は、近所のかつてのグールドの滞在先(祖父母のコテージに来ていたらしい)が残っていればと探した。あわよくばそのコテージを訪れて、お花をあげるなりお祈りをするなりしようと思ったからだ。

いろいろ調べて、一応残っていることは知れたが、すでに無関係な人の手に渡っていた。また、近所の人も現在の持ち主を気遣ってか、そのコテージがどこにあるかは言わないでいるようだった。(現地の人に尋ねた時、やんわり話をそらされた)

私はコミュニティーの意志に従うことにした。家探しはそこでやめ、心の中でだけ「やあ」とグールドに言った。

***

この話にはちょっとした続きがある。これも予期せぬことだったのだが、グールドと会った夜のほんの数日後に、私は所用で急遽オタワに行くことになった。

行ってすぐ2,3時間の空きがあるので、どれ街を散策しようと調べ始めたら、なんと散策予定エリアのナショナル・アーツ・センターというところに、グールドが執着したあの低~い椅子が展示してあるというではないか!

このタイミングで急遽決まったオタワ行き、「うーん、何かつながってるな」と思い、いざ訪問。が、なんと、その日に限って臨時休館!たまたまそこのディレクターの一人が通りかかり、私はどうしても見たいと頼み込んだが、入れてはもらえなかった。

グールドのコテージにも椅子にもたどり着けず、、、なんだよ、グールドから私には会いにきたのに、私からは訪ねられないのね、、、。

その後同じコテージに何度も泊まっているが、グールドが現れたことはない。汽笛を聞いて懐かしい感覚はあるが、あの時感じたような空気の変化はあれ以来起こっていない。

しかし8月末を迎えて、また彼のことを思い出し、こうして書き留めている。

あの時、果たしてグールドは私に何か言いたかったのだろうか?

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再会時のイメージに近い写真 
(フィルム:The Idea of North-北の理念)

余談:私はこの記事をコテージで書いていたが、文中「汽笛が12時に鳴った」と書いた時に時計を見たらちょうど12時(12:00ピッタリ)だったので、びっくり!狙ってないのに。

そして記事を書き終えた瞬間、何かの合図のように長~い汽笛が鳴った。(ちなみに列車は貨物列車でむしろ夜中に多く走っているそうだ。)

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