再生の春

外はまだ雪が残り気温も低いながら、日差しは春めいてきた。人間の何千倍も太陽に敏感な植物たちは当然反応している。

室内に入れておいた無花果の植木。晩秋にすっかり落葉して棒だけになって、果たして生きているのかもわからなかったけど、2月頃から目を出し始め、今月にはわっさわっさ葉を出し始めた。


一旦芽が出たらあとは早い!

 

この木に限らず、多くの植物、そして動物も、冬に活動休止するようにプログラムされている。うまく出来ているよな~。逆に言えば、そのプログラムを持った生き物が、この地球の冬を生きられる。地球が生き物を選んでいる、ということだ。 

前回、冬の過ごし方を書いたように、人間も本来冬は気候に合わせてじっとしている。

今は街があり道路があり、仕事があり、交通手段があるから、会社員であれば、基本1年中同じ生活をしている。でも自然の中で生きるのであれば、冬は活動をそれなりに停止するだろう。


こちらも最近一気に出てきた月桂樹の新芽

 

毎年のことながら、3月も終わりに近づくとものすごくわくわくしてくる。太陽が違う。植物たちが目覚める。目覚めのエネルギーを感じる。何かが始まる。

正確にいえば、毎年同じ季節を繰り返しているから、『誕生』というより『再生』の方が正確な表現か―。




この時期は4月の自分の誕生日に向かう時期でもある。だからなおさら特別に感じるのだろうな。

歳を重ねるほど、いろんな物事が常に「繰り返し」であることに気づく。あるいは繰り返すことを受け入れて、さらには好むようになる。

人が朝起きて仕事をし眠りにつくのも「繰り返し」。春に植物たちが芽吹くのも「繰り返し」。生命体のDNAが何百年、何万年も脈々と受け継がれていくのも「繰り返し」。惑星が誕生し消滅するのも「繰り返し」。


根があれば再生を繰り返す素晴らしきカイワレ大根!


輪廻転生が本当にあるかわからないけど、この「繰り返し」の法則から言うと、あってもおかしくない。一瞬だけを切り取れば、それは常に「変化」とも言える。(諸行無常)しかし大きな流れとして、何事も「繰り返し」ているような気がする。 

思考のままに書いていたら取り留めなくなっちゃった。でも、こういう時間が持てることはいいことだ。(ここ数年バタバタだから特に!) 




ところで、、、こちらでは「ゆず」が滅多に手に入らないから、(あっても乾き気味で小さい実1個が7ドルとか!) 入手したとき、何とか種から育てられないかと再生を試みたことが何度かある。


ちなみに皮も冷凍か乾燥して保存。高いから余すところなく使わねば!


しかし、ちょこっと芽が出るところまで行くけど、その後成長せずに失敗に終わる。いつか何とか成功させたいと思っている、、、。




ちなみに、発芽直前の様子(透き通った薄皮からくるまった芽が見える)は、まだお母さんのおなかの中にいる人間の胎児(人間の形になり始めた時期)に似ていてドキッとしたことがある。再生の姿、生命の姿には共通するものがある、、、。

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