木曜日の怪 その2 ~まさかの再訪!~


前回に続き、もうひとつ奇妙な体験を、、、。

ある日の朝。晴天の気持ちのいい朝だったので、私は会社にいつもより早く行ってデスクの整理をしていた。


すると、建物の奥の方から、同じく始業前に早く来ていた同僚の呼ぶ声が聞こえた。何事か?と行ってみると、なんと彼が顔から流血していて、必死にティッシュで押さえているではないか!

聞けば、ちょっとしたアクシデントで機械のフレームに顔をぶつけたという。鋭利なフレームではないものの、勢いがあったため顔に裂傷が。これは病院行きだな、と明らかだった。

怪我した本人は歩けるし話せるが血を抑えているため運転はできない。しかし他のスタッフは出張で不在だったり、朝どうしても外せない仕事があったり。ということで、私が急患窓口に彼を連れていくことになった。

引越してきて半年、まだ街の病院どころか町医者や歯医者すら行ったことのない私。ましてや、大病院の救急窓口なんてどこかもわからない。そんなところ、よっぽどじゃなきゃ行く機会なんてない!

怪我をした本人の方が「以前子どもが熱を出して、〇×病院の救急センター連れて行った。そこが一番近い。」というので、彼の案内で病院へ。

おかげで病院までの道と(私の家のすぐ近くだった!)、救急窓口に一番近い駐車場、そして受付場所まで、スムースに辿り着いた。やれやれ、どっちが連れてきてもらったんだか、、、。

幸いなことに、トリアージ(患者の緊急度により対応の優先順位を決める過程)を受ける頃には血は収まってきていた。ただ、会社への報告があるので、私はずっと彼について診察室や処置室にも同行した。

結局数針縫うことになって、医者は私に「縫う時、横に居てもいいよ。」と冗談っぽく言ったが、縫うところなんて見たくない!さすがにその間は席を外し、トイレや廊下をうろうろして待った。

そして、「救急センターなんて、ニューヨークで友達に付き合って来たとき以来だな。」なんて思い出していた。あれは、クイーンズのエルムハースト病院。きっと10年くらい前のことだ。

思ったよりも傷は軽く、本人も痛みはほぼないという。大事に至らず良かったし、私としては、オフィススタッフとして、急患が出た場合の対応の勉強となった。

さて、その日の夜―。

今行っているスポーツクラブで仲良くなった友達の1人から、私に連絡が入った。

彼女は週1でサッカーをして、その日は私の家の近くの屋内サッカー場で試合をしていることを知っていた。

「どうしたの?今日のゲームは?」と聞いたら、なんと試合中に肘を脱臼してしまい、今救急車を待っているところだという。えええーっ!

何でも救急車がその日不足していて、もう1時間も待っているとのこと。彼女以上に優先せねばならない、命に関わる緊急患者が何人かいたようだ。

彼女はあまりの痛みから気をそらすため、使える方の手で携帯をいじり、何人かにメッセージを送っていたのだった。心配になった私は、どうせ近くだし現場に行ってみることにした。

着いたら、人工芝のフィールドに彼女が横たわったまま。駆け寄った私に、痛みをこらえながらも「わー、来てくれてありがとう!」と。

もう夜11時をまわっていたので、2,3人のチームメイトを残して他のメンバーは帰っていた。(彼女が怪我をした時点で試合中止)そして救急車はなかなか来ない、、、。

ようやく来たのが夜11時半頃。結果して2時間近く待っていたそうだ。

チームメイトたちは彼女の車と自分らの車を運ぶことをアレンジ。脱臼した彼女の家族は事情があってすぐに来れない。だからひとまず私が彼女に付き添って病院に行くことにした。

市内には大きい病院がいくつかある。救急隊員にどこの病院に運ぶか尋ねたら、、、

「〇×病院の救急センター。」

そう、それは、まさに私が朝行ったばかりの場所、、、、。


「滅多にない救急の事態が1日に二度も?今日初めて行った病院に、同日再訪するなんて!?」

私は、まったくもって不思議な気持ちで、自分の車で救急車のあとをついて行った。(脱臼した骨に響くので、救急車はサイレンは鳴らさず、むしろゆっくりと彼女を運んだ。)

そして、救急車が急患に入るのを横目に、私は皮肉にも覚えたばかりの駐車場に車を停め、覚えたばかりの救急専用玄関に「スムースに」入り込んだ。

「まさか、覚えたことをこんなにすぐ実践する機会があるなんて。。。」

廊下で救急ベッドに横たわった彼女を見つけ、しばらく待って処置室に入った。そう、私が朝いた処置室だ。その時見つめていた同じ床の模様。ナースたちのデスクの位置も記憶に新しい。

私は、実は朝もここに来ていたことを、まだ痛みをこらえていた彼女の気を紛らわすために話した。彼女は驚いたと同時に笑った。

彼女の家族はどうしても事情があって来れずにいた。いずれ命に別状はないので、彼女は家族に無理をさせなかったし、私にも帰っていいと言った。

が、痛みをこらえている彼女を一人残すのはしのびなく、私はせめて処置の目途がつくまで付き合うことにした。

ところが、それからが長かった!

夜間の診療は特に時間がかかる。まず痛み止めの点滴をして、レントゲンを撮り、その後ごく数分だけ眠らせる麻酔をして、その間にドクターたちが外れた骨を「えいやっ」とはめ込む、というもの。

ひとつ一つの段階に長~い待ち時間があって、結果して早朝までかかってしまった。次の日きつかったことは言うまでもない、、。

朝方ようやくありついたコーヒー

でもそれ以上に、やはり、10年も行く機会のなかった救急センターに、同じ日に二度も行くことになった偶然が、私には奇妙に思えてならなかった。

また、それは前回書いた「火災報知器と火事」のちょうど1週間後の木曜だった。

2週連続の奇妙な体験。いずれもまず何かが予兆的に起こり、数時間後に同じようなことがさらに重大になって起こる、という、時間差のシンクロのようなものだった。

だからさらに次の木曜日、私は何か悪いことが起こるのではないかとハラハラしていた。結局3週目は何もなかった。

が、その次の木曜には、前の2つほどではないが、ちょっと似ていることが起こった。

帰り道、家の近くに来たところで、救急車が私の前に入り、すっ飛んでいった。行先は私の進行方向と同じ。私のアパートに入る同じ路地を先に曲がっていった。

私もそこを入ったら、すでに救急車と警察の車が複数停まっていて通行止め。私はアパートに行くことが出来ず、反対側へと迂回せねばならなかった。そう、数週間前、会社の前で全く同じことをしたように。

事故か事件か知らないが、「もうポリスと救急車はいいよ」と、うんざり気味でアパートの駐車場に入ったら、、、なんと、私専用の駐車スポットに誰かが勝手に車を停めているではないか!

もうアパートの管理オフィスは閉まっている時間だから、クレームをつけることも出来ず、無断駐車している車のナンバーの写真だけは撮り、私はその夜やむを得ずゲスト用の駐車場に車を停めた。

「いつもの道は通れず、いつもの場所に車を置けず―。何かハプニングがあると、必ずもうひとつあるんだな。」

これも木曜日の出来事だった。

その後2回ほど木曜日がやってきたが、今のところ何も起きていない。だけど、その頃新潟の実家のあたりでも大きな地震があったりで、どうも「災害・事故」の気が自分の周りに漂っていた最近だった。

この『木曜日の怪』シリーズ、続かないことを祈るばかり、、、。

 
パトカーや救急車、消防車はもう見たくない~
* * *

虫の知らせかシンクロか偶然か?

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