見知らぬ町で
長らくそういう時間をもっていなかった。日常を離れて、完全に一人になって自分と繋がる時間。
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去年からの劇的変化による忙しさは続いているが、ここ1、2ヶ月は特に余裕がなく、その日必ずやらなければならないことだけをやっても睡眠時間が4、5時間という日がほとんどだった。
しかしそろそろストレスが溜まってきたので、少し前に、えいっと、一人で遠出を決めこんだ。
といっても、旅というほどのものでなく、車でちょいと北に行った、なんの変哲もない湖畔の小さな町に3日ほどの滞在。そこでやっと自分を振り返ったり、少しだけ書く時間が取れた。
街ブラしていて見つけた、かわいいアイスクリーム屋さん。 |
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忙しいこと自体は苦ではない。
公私ともにやりたいことの計画を立て、限られた時間で目いっぱいの成果や進捗を得ようとするのは私のタチ。そういう忙しさはむしろこなせばこなすほど達成感が増し、苦しみ以上の喜びすらある。
ストレスを感じるとすれば、、、それは、その忙しさの種類が狂った時だ。
例えば、予期せぬことが起こったり、1年や数年に一度しかない用事があったり、あるいは他者の影響で、いろんなことが後手に回り、効率的でなくなった時。
同じ「忙しい」でも、こうなると追い立てられる中で何かをこなすだけの雑な状態になってしまう。
とはいえ、人生なんてそうそう予定通りいくものじゃないこともわかっている。また、人はこの社会で生きている以上、必ず他人と関わっているから、外からの影響も常に受けるのだ。
それも見込んで余裕持って計画立てればいいだけなんだよね。ただ、ここのところ本当にいろんなことに振り回されちゃったので、やっぱり時々は立ち止まって体制を立て直す時間というのがいるのだ。
それには、まずはスケジュールやTo Do リストの整理をすればいいわけで、それ自体は自宅でだって出来るんだけど、、、日常からあえて『物理的』に離れることも、結構大事だと思う。
日常から離れて自然の中へ |
うまく説明できないけど、普段自分のいる場所や見るものって何かしらの気持ちが入っていてそれに引っ張られたり、あるいは、やれ洗濯しなきゃとか、あれ買わなきゃとか生活の諸々に引っ張られることがあるし。
意識を切り離して客観的に現実を見るには、そういう日常の場所を離れないと。
言い換えると、、、社会生活とは、言わば、一人ひとりが何かしらの役割を演じている舞台。役者の1人として舞台に立ちながらその劇を見るのと、客席から劇を見るのでは違うのだ。
あるいは、飛行機や車に乗った状態にも似ているかもしれない。
搭乗中、乗車中は、普段の生活の場から切り離された、ごく限定された空間。やることが限られ、ある種の孤立状態になる。意識は内に向かざるを得ず、結果、近況や自分を振り返ったりできる。面白いアイデアが浮かぶことだってある。
ということで、わざわざスケジュールやTo Do整理、気持ちのリセットのために適当に選んでやってきた見知らぬ町。観光や買物は不要。質素でいいから最低限清潔で安全な宿泊場所とWiFiさえあればオッケー。
レストランになぞも行かなくてもいい。スーパーやファーマーズ・マーケットで新鮮なフルーツとパンが買えれば充分。
東欧系のワゴン・ベーカリー。私の好きなハード系パンを何種類も売ってたから大興奮!くまなく吟味したあと、ドイツのライ麦パンとベルギーチョコ入りロールをゲット! |
地元産のイチゴ。美味しくてパクパク食べちゃった。 |
ここの近くには湖があるから、湖畔に行って日光浴&ヨガ&瞑想もできる。
太陽の下、裸足で芝生に寝ころび、う~んとストレッチ |
いずれにせよ、誰にも知っている人に会わず、見知らぬ町に佇んでいると、不思議なことに、言葉とか、アイデアが内側からひょっこり湧き出てきて、より自分の意識に近づく気がするから不思議だ。
見知らぬ街をぶらぶら |
そして滞在中は時間の縛りがない。誰との約束もなく、予定もざっくりとだけ立て、気分次第で何時にどこに行こうが何をしようが自由だ。アラームをかけずに寝てもいい。これはとても解放感がある。
ああ、やっぱりこういう時間はときどき必要だな!
適当に走っていたら、風力発電機に遭遇 |
帰ってきて、またバタバタの日々に戻ったけれど、何とかどこかのタイミングでまたこういう機会を作りたいものだ、、、。
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