気づいたら北米歴15年

そうなのだ。気づいたら最近をもってカナダ滞在歴が7年半となり、ニューヨークの7年半とタイになった。アメリカとカナダの間に2年近く日本にいたものの、北米歴は通算で15年となった。

多くの人が集まるコロンバス・サークル(NY


おおお、そんなになるかあ。過ぎて見ればホント、あっという間。

ニューヨークに行く前、私は最初に就職した会社に14年近くいたから、長いと思っていたその期間をも越えてしまったのた。早い!もっとも、1社に留まっていた期間と、変化の激しかった北米滞在では経験が全く違うけど。

ニューヨークの7年半とカナダの7年半も全然違う。

ニューヨークは初海外で英語も出来ず、世界のことも殆ど知らない状態で始まり、何もかもが目新しく刺激的だった。周囲の環境が新しいだけでなく、留学・海外就職と、自分の能力にチャレンジしつつ、新しい自分を発見する期間でもあった。

金融街で働いていた頃の夜景

カナダは二度目の海外、しかも生活様式の似た北米だから、当初の驚きはない。自分が「海外にいる」という意識すら薄れ、かつて特別でときめいていた日々が、ごく日常となった。カナダという国がややゆったりしていて、刺激よりも安心を感じるせいもある。

ただしカナダの自然の美しさにはときめく


いずれ15年も日本を離れ、自分の中で日本と北米の感覚が交差している。どちらかというと日本に帰ったとき違和感を覚える方が多くなってきた。

とはいえ、英語はいつまでたっても流暢になれず、こちらの資源の無駄遣いなぞを見ると、日本の『もったいない』感覚がうずくこともしばしばあるけど。

ただ、そうやって文化の違いを比較すること自体、以前ほどじゃなくなってきている。今は生活スタイルがよりシンプルになって、生きるための基本的な部分で快適な状態を求めているから。

例えば美味しい野菜を食べるとか、風呂やヨガでリラックスするとか、植物の世話をするとか。それらは、どの国にいるかは関係ないことだ。

夏恒例となっている野菜栽培


それに、今は世界中の情報が一瞬で入ってくるし、こちらからも自由に発信できるから、ますます自分の居場所を意識することが少なくなった。

ただ、それはあくまでも今の自分の状態で、かつての思い入れのある場所を思うとき、それはやはり特別な感情が湧く。

ここ二カ月ほど、狙ったわけじゃないのにたまたま観た映画やTV番組は、ニューヨーク舞台のものが続いた。(ニューヨークモノはごまんとあるから当たる率が高いのは当然だけど。)

例えばニコール・キッドマンとヒュー・グラントの『The Undoing』。アッパー・ウェスト&イーストやセントラルパークが頻繁に出てきたが、かつて私が毎日のように歩いた場所なのだ。


よく歩いたセントラルパーク・ウェスト通り

意外にこれまで見そびれていたのがスパイク・リー監督の『Do The Right Thing』。ブラウンストーンとその入口にたむろする様々なルーツの人々。映画の時代はやや古いが、あの光景は私がいたときも変わらなかった。

ニューヨーク・ブルックリンのブラウンストーン


ディズニーの『Soul』もニューヨークが出てくるとは知らずに見たもんね。

大晦日のTVでは多くのチャンネルがタイムズ・スクエアのカウントダウンを映していたことも含め、意図せず立て続けにニューヨークが出てきたので懐かしい想いでいっぱいだった。

コロナさえ収まったら、すぐにでも行ける場所。次に行くのが楽しみである。

ニューヨークへ行ったら必ず行きたいジャクソンハイツ。(安く美味いごはんのため!)

セントラルパークなら人の少ない北側もいい。
ハーレム近くに住んでいた頃よく行った場所。

さて、もうしばらくはカナダにいる予定なので、これからはニューヨーク歴よりカナダ歴が長くなっていく。同時に「居場所うんぬん」という感覚は、前述のとおりますます薄れていくだろう。

『どこにいても大事なものとは繋がっていて、どこにいても不要なものとは繋がらない。』そういう感覚の方が自然な基準になっていくんだと思う。

先日アップルタルトを作りながらあんこを炊いていた。結果、どちらも食べたくてタルトのサイドにあんこ添えて食べたよ!国を越えたデザート?

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