静けさが駆り立てる烈しさ

この北の地は、どうしてこうも春と秋が短いのか。


先週サンクスギビングが終わって来週は雪の予報。だいたい毎年ハロウィンの頃に最初の雪がチラつくのだが、もうその時がやってきている。

春の花があっという間に散るように、秋の紅葉も命が短い。これを逃したらもうチャンスがないかも?と半分焦って車を走らせ、一番近くの州立公園に行ってみた。

森の中の木々は、街路樹よりはまだ緑が残っていた。でもそれだってすぐに色が変わり、雨とともに散ってしまうだろう。この日がこの秋最初で最後の秋のウォーキングかも?



森は静かで美しかった。人工的な音はもちろん、ここのところコロナや差別や政治に関して不穏な世情まで遮断しているようだった。

だからとてもリラックス、、、と言いたいところだが、その静けさによって私の心はむしろ動揺した。心をわし掴みされたような烈しい感覚が込み上げた。



うまく言葉にできないけれど、自分がつながっているべきものと知らぬ間に離れてしまっていたけど、意図せず再会したような?

本当に求めていたもの、ごまかしのきかない絶対的な何かを直感して「ヤバいっ」って感じ?

無意識に蓋をしていた意思が、しんとした森独特の静けさによってその蓋をこじ開けられ、湧き出てきたような?

懐かしさなのか、トキメキなのか、焦りなのか、何とも区別つかない感情があった、、、。



その公園へ行ったのは初めてだったが、森の空気は、以前ニューヨーク時代にさんざん森を歩いたときと同じ。懐かしさが混じるのはきっとそのせいだろう。何かこう、以前の場所に「戻ってきた」ような、時空をワープしたような感覚もあった。

今はあまりにバタバタな日常を送っているので、突然自然の中に身を置くと、普段感じないものを感じるのかもね。。。

* * *

とりとめない内容になっちゃったけど、今、いろんなことに振り回されているこのバタバタな日常を何とか変えて、自分のペースや時間をちゃんと確保できる状態にしたく模索中。

気が付けば私はいつもそういう状態になっているから、これはパターンだよな。やる気満々で突っ走るけど、ある日突然足を止めて我にかえるというか。(笑)

いずれ、今そんな感じでもやもやしてるから、ブログに限らず、いろんな考えが取り留めなくなっちゃっている。



1日で一番時間を取っているのが仕事だから、まずここを大きく変えないといけない。今の会社にいながら勤務形態を変えてみるとか、思い切って転職の方へ舵を切るか。

年齢や健康のことも気になる。歳を取ることを憂いているのでなく、やはり体力や集中力は徐々に衰えていくのだから、何も無理することないし、もっと精神的に満足するものを求めていいのではないか?ということ。

何をもって幸せを感じるかは、時間とともに変化するのだ。


以前は何の興味もなかったが、今は好きな野菜栽培

しかし自分の年齢を直視すると、こんな歳になっているなんて改めて驚く。写真や鏡の中の自分を見て、皺は増えてるわ肌の張りはなくなっているわで、それまたビックリ(笑)

そう、時間は刻々と過ぎていく。だから昔の感覚を引きずるのでなく、常に今の自分にチャネルを合わせていかないと。あるいは、いま本当に大事なものだけを選んでいかなきゃ。

今回自然の中に身を置いて沸き上がった衝撃は、その「大事なもの」と繋がっているんだと思う。意図せず核心に近づいたような感触がある。

だから雪の降る前にもう一度森に行きたい。

だからもう少し秋が続いてほしい。



* * *

関連記事:私が大好きだった、NYロングアイランドのある公園での話。森の空気はいつもここの公園のことを思い出させる。

『隠された墓』201710


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