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夢見る場所、ブラントフォード

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電話を発明したアレキサンダー・グラハム・ベル。スコットランド出身だが、若いときに両親とともにカナダへ移住、トロントから南西に車で1時間くらいの場所にある、オンタリオ州のブラントフォードという町に根を下ろした。 車で行けば私の家からも比較的近いので、春の初めに、彼や両親が住んでいた家に行ってみた。今はビジターセンターとなり一般開放されているのだ。なかなか興味深かったのでここに記録しておこう。 聾啞者にコミュニケーション方法を教えていた父親に習い、アレキサンダー(呼び名:アレック)もその手法を習得し、聾者のコミュニケーションの訓練や聴覚に関する研究をしていた。 下記はスピーチレッスンの料金表。当時(1800年代の終わり)にしたら結構な額だった。 父親は聾啞者だけでなく、スコットランドから移住してきた人々に、スコティッシュ訛りの英語を矯正するレッスンもしていたそうだ。ガイドさんの話によると、訛りによるスコットランド=田舎者というイメージを払拭したい人たちが少なからずいたとのこと。 写真は応接間。ブラントフォードは工業が発達しているが、周辺は今でも農地が広がる。そんな地である程度裕福な生活をしていたことが垣間見れる。ニッチな専門分野だったためか、あちこちから父やアレックへの要望は後を絶たなかったようだ。 ところで、子どもの頃から好奇心旺盛だったアレック、いろいろな分野でいろいろな実験をしていたが、母親が聾だったため、ことさら音声や音響など、音や通信、コミュニケーションに関する学問や実験に没頭。 聾者に教えると同時に、聾者を助手にして自身の研究を続けた。(助手の一人はその後アレックの妻になる)カナダ地元の先住民の特別な言語において新たな伝達方法を確立するなど、時にはユニークな試みも。 後にボストン大学の教授となったアレックは、ボストンとブラントフォードの実家を行き来しながら実験を重ね、ついに電話を発明することに。 ブラントフォードでは長い線を繋げた電話テストや、電話を貸し出す会社もできた。写真の箱のような電話が初代レンタル電話。当時の貸し出し料はなんと$3,000!(約30万円。当時の価値にしたらかなり高い)   現在の巨大通信会社『Bell』につながる本格的な会社がボストンで設立されたのが1877年。電話はあっという間に広がり、通信手段や機器もどんどん発達していくこ...

ついに本当の春が来た!

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5 月。日本ほど数はないが、通勤途上でちらほら見かける桜がいま満開。チューリップもピークを迎え、木々も芽吹き出してきた。やっと春を確信出来ている。 4月中は冬と春を行ったり来たり、かつ雪も降るので、本当の春が来たか信用できない。でも、いったん本当の春になると、季節は早送りしたかのように進み、5月末には夏のような日がやってくる。冬が長い分、他の季節がとても短い。 今年はつい最近まで0℃近くの日があってことさら冬が長く感じたし、雪が多い年だった。それに負けじとばかりに結構あちこち出かけたけど。凍った湖を見に行ったり、冬道を散歩したり。 ものすごく寒い3月の初めに、冬のナイアガラを見に行った。以前も見たことがあるが、雪の中の滝はまた美しく迫力があるのだ。氷点下十数度の澄んだ空気の中、ライトアップも綺麗だった。 ところで、私の住んでいる辺りは地震や台風、洪水、水不足がないのが幸いだが、竜巻に近い突風がしばしばやってくる。つい1週間前、ものすごい強力な突風とたった5分ほどのゲリラ豪雨が私の住んでいるエリアを襲った。 大木があちこちで倒れ、道路を塞いだり家々の屋根やフェンスを壊したりと、かなりの被害があった。近所の人たちは「このへんでこんな突風は初めて」を口々にしていた。 午後4時過ぎのたった5分の出来事ーーー私はその日に限って用事で早く会社を出て、なんとその5分間は運転中だった。私の通勤時間は10分なのに、その5分がちょうどハマるなんて、、、!しかも普段は帰らない時間に! 雨の予報はあったけど、会社を出たときは青空で、だれも悪天候を予期していなかった。しかしちょうど会社と家の中間の林と橋を通るときに急に黒い雲がやってきていきなり車を揺らし始めた。 普通の風じゃなかった。車が浮くような変な風、、、多分竜巻のちょっと手前だったのか? いきなりの豪雨で前の車も見えないし!ほんの数分だけ尋常じゃない風景になり、その後すぐに雨が弱まり、家に着くころにはまた青空になった。たった10分間でものすごい変化!ごく極地での出来事だった。 家につく直前で大きな木が倒れていて道路を塞ぎ、迂回することになった。私の後ろにいたバスは立往生。 迂回の途中でバキッと折れた木を何本も見てびっくりした。 しかもその時はすっかり雨も止み青空だっただけに。 根こそぎ倒れ、周りの芝生をめくり返した大木も。 その日の後...

梅干しの危機

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しばらくご飯を炊いていなかったが、先日風邪気味の時、ごはんと梅干しが食べたくなった。やはり体調不良のときは、身体が自然と日本的な素食を欲する。 炊きたてのごはんと一緒に食べようと梅干しの瓶を開けたら、、、ややっ!梅干しが底をつきかけているではないか!これはいかーん! 海外、しかも大都市でない場所にいる私にとってこれは緊急事態!市内のチャイニーズやコリアンスーパーにはある程度の日本食材が売っているもの、梅干しは売っていない。 トロントの日本スーパーならあるが、特に真冬は車で2時間かけてそのためだけに行ってられないし。 オンラインで手に入るかな?と探したが、たいした量が入ってないのに$50ドル(約5千円)近くする! 今もっている梅干しは、去年日本に行った際に幼馴染のお父さんが手作りしたものを分けてもらったもの。自家製梅干しだからなおさら貴重。 子どもの頃は実家に梅の木があり母が漬けていた。私も日干し途中でひっくり返す作業を何度が手伝った。ある時父が木を切ってしまい、母の梅干しはストップしてしまったが、だいたいご近所や知り合いの農家から分けてもらえた。やはり手作りは味が良い。 海外の中規模都市にいては、まず梅の入手が難しいからさすがに手作りは期待しないものの、今は市販のものもすぐに買えない状況にある。 前回使ったときは何かに気を取られて、なくなりそうなことに気づかなかったのだな。これは迂闊だった。やはり梅干しは時々どうしても食べてたくなるから切らせられない。 こちらの食事はピザとかサンドウィッチとか肉系が多いし、味は濃く大雑把。良いレストランもあるものの、日常的に使うスーパーの食材やテイクアウトの食事は新鮮さや繊細さに欠ける。なのに値段が高い! 純粋に欲するものじゃないものにお金を出すときってむなしい。たかがご飯と梅干しが、私のいる環境ではかなり贅沢で手の届かないものになっている。 残り少ない梅干しを一気に使わず、赤紫蘇と刻んでご飯に混ぜる。ゴマとおかかも少々追加。これ、今の私には贅沢品!ランチなんてハンバーガーとかピザよりも、これと味噌汁、いや日本茶だけでも十分。 以前、ニューヨーク時代の友人が、プラムを代用して作る梅干しレシピを教えてくれた。肉厚なだけで、梅干しとそっくりな味と食感が得られて驚いたものだ。(このブログのどこかに載せた気が。) しかし今は冬、プラムは売っ...

真冬のヨガ

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  明けましておめでとうと書く前にすでに2月になってしまった。まだ慣れていない2025年の12分の1がもう過ぎたのだ!早い早い。 遅まきながら新年の抱負を語ると、もっとエクササイズを!ということ。毎年毎年同じなんだけど(笑) しかし今年は気合を入れて、ちょっと高かったけどヨガスタジオの1ヶ月クラス受け放題のパスを買った。 運動をさぼっていて筋力体力がかなり落ちていることを知っていたので、本格的なワークアウトや何かしらのスポーツをする以前に、まずはヨガで身体をほぐし、体幹を少しずつ鍛えたかったから。 ところが!パスを購入した二日後に風邪を引き、これが予期せず完治に1週間もかかった。1ヶ月行き放題パスですでに1週間無駄にした!そして2週目は毎月仕事のピークなので、この週ヨガに行けないことは予めわかっていた。ということは残り2週間! 割高のパスを無駄にするものかと、そりゃあ数日おきにスタジオに通ったさ! 折しも1月の後半は寒波がやってきて、連日マイナス15-20数度の世界。いったん仕事から帰ると、「う~ん出かけたくない」「外は痛いほどの寒さ!」という悪魔のささやきが頭をかすめる。 仕事が忙しく残業もしている時期だったので、それもくじけそうになる要素だった。 しかし、今年の私は強気だった。えいっと2,3日置きに行くことを続けた。正直、身体が弱ることへの恐怖の方が大きかったからかもしれない。 最初は身体がバキバキだったけど、2回、3回と行き続けるうちに、身体の変化を感じた。たった数回でも間隔が短いから変化も早かった。3回目くらいから筋肉痛にならなくなり、足腰に安定さを感じ始めた。 進歩を感じ始めると面白くなり、続けたくなる。より力強くなりたくて。より進歩の喜びを感じたくて。 2月も行き放題のパスを買うことにした。ちょい予算オーバーだけど、春以降はヨガの頻度を下げ屋外で何かしらできるから。今は真冬だから、春に向けて黙々と筋力を上げたいと思っている。 ところで、冬のヨガで気を付けねばならないことがある。それは、、、ヨガマットを車中に置きっぱなしにはできないこと。なぜなら、、、凍っちゃうから! クラスの後に水拭きしたあとはもちろんのこと、乾いていてもマットの中の湿った空気が凍って、パリパリになっちゃう。広げようにもしばらく丸まったまま。 ここはカナダ、たとえ昼間でも仕事時間...