深爪
夏が始まるやいなや、ここぞとばかりに外へ出る予定を詰め込むし、畑の世話もあって、元々短い夏がさらにバタバタと過ぎる。 それらは今年も例年通りだったが、一生に一度しか経験しないこともあった。日本にいる父が亡くなったのだ。 もう90歳に近かったから寿命といえば寿命。ここ15年くらいの間は 脳梗塞 や癌やほかにもあちこち悪いところがあり、むしろここまでよく頑張ったものだ、主治医も驚いていた。 しかもこの春入院するまで、尿のカテーテルつけたまま、雪かきだの畑仕事だの自転車乗りだのしていた。 昔から家でじっとしていられなかった。何かと外へ行き何かと働いていた。病院は大嫌い。入院生活は父にとって拷問のようなもの。以前入院した時も脱走を図ったことが2回もあった。 5月に不調で入院し6月に一度、家族を認識できなくなり、私は急遽帰国。幸い滞在中回復して私のことはわかったようだった。 耳はもう聞こえず、話も出来ず、字も書けなくなり、目の動きや表情で判断するしかなかったが、それでも家族を認識しているかどうかはわかるものだ。 一旦良くなって特養に入所したのも束の間、熱で病院へ送られて、その後3週間程で逝った。肺炎と癌で弱ったものの、最後は比較的短い入院期間だったことは不幸中の幸いな気がする。 誰だってただ病院にずっとずっと横になっているなんて耐えられない。水も食事も自由に摂れない。身体は動かない。家族だって限られた時間にしか会えない。コミュニケーションもとれない。 父は以前、そういう状態にあった 伯父の見舞い に行き、「俺はああいう風になりたくない」と言っていた。だから父を思えば、長引かなくて本意だっただろう。 とはいえ、まだ父が亡くなって間もないので、私はまだ現実と思えずにいる。私は危篤の知らせを聞き、父が亡くなる1週間前に日本に行き、最期を看取れたことが出来たのは幸いだ。 しかしその直後から葬式やら諸々手続きやらで奔走し、感情と向き合う暇もなかった。棺に入った父はただいつものように寝ているように見えた。遺影を前に線香を上げても、現実味がない。 そもそもずっと離れて暮らし、年に一度会う程度だったから、普段は会わない、という意味では変わりがない。母同様、常にどこかで生きていてくれている存在なのだ。 ただ、そんな母ももの忘れが酷くなり、確実に老いている。実家も傷み、近所の皆も高齢化。街は空き...