ロウニンが止まる時
3年前に秋田犬のロウニン(浪人)が来てから、彼の散歩のため私も強制的に外を歩くことになった。
昨年春、たんぽぽ畑を歩くロウニン |
それまで、イベント的にトレッキングなどに出かけたとしても、こんなに日常的に(しかもロウニンが小さいうちは1日に数回も)散歩に出ることなぞ子どもの時以来!
仕事に集中していたり、雨が降っていたりすると、正直「ああ、面倒くさい」と思うこともあるが、相手は生き物、そんなことは言っていられない。
それに、ロウニンがいなきゃデスクに何時間も張り付いたまま、悶々と仕事をしているだけだから、散歩は私にとっていい運動・気分転換の機会でもあるのだ。
私のデスクの横で、散歩はまだかとしょっちゅうチラ見するロウニン。 |
しかし実際は、、、そこにはそれ以上の予期せぬ驚きや喜びがあった。
まず、秋生まれのロウニン、最初の2ヶ月は、ほぼ屋内で大事に育てられていた。だから外へ出て行動を広げ始めたのはまさにもらわれてきてから。つまり、ロウニンにとっては、外で見るもの、触れるもの、嗅ぐもの、生まれて初めてのことだらけ!
例えば、初めての草花。初めての雪。初めての湖。恐る恐る近づいたり後ずさりしたり、匂いを嗅ぎながら確認したり、風で枯葉が舞っただけでびっくりして逃げ出したり。
初めて大きなぬいぐるみを見てしばし固まっていたロウニン。 |
初めての湖を見て腰がひけてるロウニン! |
初めての「海苔」。しばらくじーっと見てた。 |
そして、その場その場に居合わせた私が気づいたことは、他者が体験する「人生初」の瞬間に立ち会うって、こちらにとってもスぺシャルだということ!
映画や本からもらう感動とは種類の違う、もっと本能的な喜び。自分の直接の体験じゃないのに、側にいる者が、何か新しいことを吸収していくときの知的な刺激を享受するような幸福感。
また、教えていないことをひとりでにやるのを見た瞬間も、「おお、これは最初から備わっている能力なんだ!」と感動したり。(例えば、ロウニンは散歩中にウンチをするとき、最初から自分で植え込みの陰に行って隠れてしたし、その後鼻を使って土や枯葉で自分のウンチを隠していた。)
きっと赤ちゃんを育てる親や先生など教える立場にある人が、これに似た感動を日々得ているのではないだろうか?
さらに、、、これも恩恵の一つとつくづく実感するのだが、動物のロウニンと一緒に歩くと、おそらく人間と歩くだけではわからない、いろんな発見があるのだ。
何しろ彼らの五感の能力は人間の何倍もあるから、ロウニンが歩いている途中で何かを感じ取ってピタっと止まった時というのは、必ず「何か」がある-。
急にピタッと止まって木の上に目をやるロウニン。 |
ロウニンの目線のずっと先を追うと、リスがいたり野良猫がいたりと、人間よりも先に気づくのは当然なのだが、そのおかげで時には珍しいものに遭遇したりもする。
これはこういう種類なのかアルビノかわからないけど、白いリス。(初めて見た!)
こちらは二匹の鳥のmating(子づくり)の瞬間。鳥のmatingってたった数秒しかないんだって。それがロウニンによって気づかされ、ちょうど握ってたカメラで急いでパチリ。
ロウニンが直接教えてくれなくても、彼がおしっこをしている間、美しい新芽や咲き始めた花を見つけたり。
これはロウニンが落ちていた木の一部で遊び始めちゃってしばらく待っていたんだけど、木や継ぎ目が人間の心臓と管に見えて、何かこう、クリエイティブな刺激があった。
これも、たまたまロウニンと教会の前を通りかかった時。ちょうど太陽が十字架と重なって強烈な光を放っていたところを目撃。
暗示的ともいえる十字架と太陽の重なり。 |
ギャー、強烈! |
夜に歩けば、満天の星や月の美しさにも遭遇。
こんな風に、ロウニンとの散歩によって、普段は素通りしてしまう光景や小さな自然の活動に気づかされ、私はとても豊かな気持ちになる。
生まれたばかりの命や動物は、私たちよりもずっと「非物質世界」「あの世」に近く、同じものを見ても、もっと純粋に捉え、自然の摂理を教えてくれる。
だからこそ、赤ちゃん、子どもや動物といると、こちらまで学び、感覚が研ぎ澄まされるように思える。
私はこの世の立会人であり、ロウニンはあの世の示唆をくれる、というわけだ。
今はロウニンは成犬となり、もはや私の力ではリーシュ(綱)をホールド出来なくなってきた。
道なき道にどんどん引っ張られることも(笑) |
だから最近は、フェンスのついた庭で走らせることがメインで、散歩はたまにしか行かなくなったが、普段の生活の中でも人間からは学べないような、本当にいろんな気づきをくれている。
ロウニンが急に上を向いた時。空には豆粒ほどの音なき飛行機がいた。 |
いろいろ教えてくれてありがとう、ロウニン! |
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