石とザーヒル
夏を惜しむのも束の間、あれ?空気が冷たい、と思ったら実はもうすっかり秋。先日なぞ朝方0℃まで落ちた。朝は車のハンドルが冷たいのでもう手袋をしている。
今は気温は若干暖かくなったけれど、もはや夏の面影はなく寂しい。だから名残惜しい夏の思い出を書くことにする。
今年は都市部やレストランなど行けないから、時間があれば湖に行った。先日も書いたけれど、そこでハマったのが石拾い。毎回毎回拾ってたらかなりの量になってしまった、、、。
だって驚くべき色や模様の石がごろごろあるんだもの!
これまでも海岸や川、湖に行っているが、こんなきれいな石ばかりの場所があっただろうか?単に今までに目に入っていなかったのかも?とにかく今は石に妙に魅かれる。
それは、見た目の美しさ・面白さはもちろん、他にも理由がある。
ひとつは、二つとして全く同じ形・模様・色の石がないこと。
それはまるでこの世の人間や動物がそうであるように。ひとつひとつがユニークで、ひとつひとつが違った経験(過去も未来も)を持っているのだ。
違う素材・模様の石がミックスされた石 |
右のは溶けた絵具のよう。右から二番目、軍艦巻みたい笑 |
透明感あるグラデーション。 |
こうも違う石同士が合体するなんて!(いや、ひとつの石が二種類の変化を遂げたとか?) |
もうひとつは、石たちが宇宙に散らばるさまざまな星のように思えること。
星たちは何かしらの鉱物で出来ている。私たちは星には手が届かないが、同じく時間や重力や衝突や融合をくぐり抜けてきた石たちには手が届く。
石の中に埋め込まれたそのまた石 |
どうやったらこんな別模様や細線が出来るんだ!? |
そんな浜辺に散らばる石たちは宇宙の縮図に思えなくもない。事実、NASAの写真なんかで見る惑星そっくりな模様もあるのだ。
惑星を彷彿とさせる輪っかの層 |
こうして私は目に留まった石を拾い上げては、遠い時間へ想いを馳せる。彼らは一体何千年、何万年前から存在しているのか、と。
すると何だか石から何かメッセージ?エネルギー?をもらえるような気すらしてくる。
この輪の層はどのくらいの時を越えて作られたのか? |
そういやパワーストーンというのに魅かれる人は多くいる。私は持ったこともないし、売られている石に興味も持ったことがない。
でも浜辺の石は何か違う。ダイナミックな波と景色の中で触るから、心理的な解放感から違って思えるのかもしれないけど。
この石拾い、しばらく病みつきになりそうだなあ、、、。
そしてこの夏、今まで出来ていなかった読書が出来た。
毎回湖に行くたびにちょっとずつ読んで、夏を通してようやく読み終えた唯一の1冊。それは、パウロ・コエーリョの半自伝的小説『ザーヒル』という本。
ネタばれにならぬよう内容は書かないが、小説家の晩年の揺れる心に親近感があった。自分も人生後半戦に入っているからだろう。
もしこの本を20代、30代で読んでいたら解らなかったであろうことが多々あった。逆にその若い年代でしか気づかないこともあろう。本は、読む度にこちらの受け止め方が変わる。
いずれにしても心に迫る本だったから、湖と本と石がリンクして、その3つがセットになって今年の夏の思い出になった。
また湖に行き、本を読んでは石を拾うことをすると思う。それでも同じ石に出会うこともなければ、同じ本で同じ感じ方をすることもない。2020年の夏は2020年の夏でしかない。
今は今でしかない。
この瞬間は戻らない。
そういや私は結構小さい頃からこの概念が常にあった。「諸行無常」というやつね。
「過ぎた時間が恋しい」「時間はコントロールできない。」そんな焦りに似た心情。そう思っているこの瞬間も、いつか恋しい「過ぎた時間」になっていく、、、。
夏から秋へバトンタッチ |
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